【第2回】和歌山県に由来「鈴木さん」・・・なぜ東日本に広まったのか

和歌山県に由来する「鈴木さん」…なぜ東日本に広まったのか?

約30万種もあるといわれる名字。貴族の末裔、武家の子孫、地名や職業由来……その起源を辿れば、自分のルーツを知ることができます。本連載では、家系図作成代行センター株式会社代表の渡辺宗貴氏が、様々な名字の起源や分布を解説していきます。今回取り上げるのは、日本で二番目に多い「鈴木」。

熊野神社の信仰に由来する「鈴木さん」

「鈴木」と聞いて思い浮かべるのは、鈴木一郎(イチロー)、鈴木道雄(スズキの創業者)、鈴木善幸(第70代内閣総理大臣)、鈴木亜久里(元F1レーサー)、鈴木福(俳優)……。人それぞれ、思い出す著名人はいろいろでしょう。

日本で二番目に多い苗字ではないかといわれる鈴木姓。紀伊国(和歌山県)から発祥した系統で、和歌山県新宮市で神主だった穂積氏の一族が鈴木姓を名乗ったことに始まります。

穂積氏から分家した家が鈴木という苗字を名乗ったのは、和歌山県の方言で「稲穂を積み上げる(穂積)」ことを「すすき」ということにちなみ、これに神様が天から降り下るときに目印とする木(これをより代(しろ)といいます)と神がその木に宿ったときに鳴る鈴の文字を当てて、鈴木という苗字を創作しました。

後に鈴木氏は本拠地を現在の和歌山県海南市に移し、同地の藤白神社の神主となります。その一族から源平合戦(治承の内乱、1180~85)のころ源義経の家臣となった鈴木三郎重家が現れ、重家の末裔は東北から関東・東海地方にかけて広がりました。

東海から関東・東北に広がった鈴木一族はなまって「すずき」と発音しますが、和歌山県や三重県の旧家の鈴木家では現在も濁らずに「すすき」といっています。

鈴木姓の分布の鍵を握る「鈴木重家の末裔」

このように、紀伊の国に由来する鈴木姓は、現在、どのように分布しているのでしょうか。見てみましょう。

都道府県別「鈴木」の分布
出所:2019年 NTT電話帳調べ

都道府県別「鈴木」の分布図
青の色が濃いほど、佐藤姓が多い(出所:筆者作成)

鈴木姓は、全体的に東日本に多く、西日本に少ないのが特徴です。関東地方では特に多く、関東7県(茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県)中、群馬県(6位)を除く6県で1位です。ちなみに、群馬県で一位の苗字は高橋さんです。余談ですが全国第3位の高橋さんですが、47都道府県で1位を獲得しているのは群馬県と愛媛県だけです(2009年電話帳調べ)。

47都道府県の内8県で一位の苗字となっている鈴木さん。関東6県以外の2県は静岡県と愛知県です。この分布には、きちんとした理由があります。

和歌山から発祥した鈴木姓の一族から源平合戦(治承の内乱(1180~85)のころ源義経の家臣となった鈴木三郎重家(鈴木重家)が現れました。重家の末裔は東北から関東・東海地方にかけて広がったため、今でも関東・東北に鈴木姓が多いのです。

余談ですが、現在では日本一多い苗字は佐藤姓と知れ渡っていますが、以前は長い間、鈴木姓が1位と認識されていました。これは、苗字調査が首都圏に偏っていたためといわれています。

では、静岡県と愛知県に鈴木姓が広まったのは、なぜなのでしょうか。これも重家の一族である鈴木重善が、三河国加茂郡矢並郷(愛知県豊田市矢並町)に移り住み、熊野信仰を広めたことで鈴木姓が広まっていきました。

◆名字調査の具体例 ②『鈴木』を辿る

日本の代表的な苗字辞典『姓氏家系大辞典』(太田亮著、角川書店)の鈴木の項目を見てみましょう。

まず冒頭に「天下の大姓にして、族類の多き事、他に其の比を見ず」とあります。そして「その発祥地はほとんど熊野」「熊野信が朝野の崇敬を集め」「随従して各地に移り、勢力を振ひしに」という記述が続きます。

「朝野」のように疑問に感じた言葉は、インターネットで検索してみましょう。すると、読みは「チョウヤ」、意味は「朝廷と民間」あるいは「世間」ということがわかります。ここから「熊野神社が全国に信仰を広めていく過程で鈴木姓が増えていった」と解釈できます。

次に、鈴木姓の項目を見ていくと、75項目もあります。佐藤姓の58項目をしのぎました。1の項目には「穂積姓 紀州熊野の豪族なり」と、あります。

「豪族」という言葉も知っているようで、よくわからないので検索してみると、「一般的には、地方に居住し権勢を有する一族」「ただし時代とともに概念が変わり、江戸時代以降では豪農・豪商が豪族に代わる言葉となる」とありました。

では次に「穂積姓」について見ていきます。これはホヅミの項を見ます。「太古以来の大族」「物部氏と同族」「大和国山邊郡穂積邑より起こる」と記されています。「物部氏」というのは、歴史の勉強で出てきたのを覚えているでしょう。「大和国」は奈良、「穂積邑」の「邑」は「村」のことです。

穂積姓の項目を読み進めると17項目がたっています。14項目目に「紀伊の穂積氏」という記述があります。鈴木姓の関係からすると、探していたのはこの記述ですね。しかしその冒頭に「スズキ、ウキ、ウドノ、エノモト、クマノ等の條(条)を見よ」とあります。これは大変です。細かくは後で調べるとして、一旦、鈴木姓のページに戻ります。

改めて穂積姓のところを読んでいくと、「榎本の氏を賜り」「宇井薫(丸子氏)、鈴木薫の名は」という記述が続いています。鈴木姓は榎本や宇井、丸子という苗字ともかかわるようです。

さらに読み進めていくと、「三男基行は…これによりて穂積の氏を賜る。」「鈴木氏は此の基行の後裔なりと云ふ。」とあります。まず「基行」なる人物が「穂積」を名乗った(賜った)ことがわかりました。では、だれが鈴木を名乗り始めたのでしょうか。「基行」をキーワードに読み進めましょう。

その先には、「今亀井の系図等によれば」という記述があり、家系図が載っています。その中には、次のような記述があります。「宇摩志麻遅命-(この間24代中略)-基行」。「基行」の先祖は宇摩志麻遅命。検索してみると、読みは(うましまぢのみこと)、『古事記』『日本書紀』に記載の人物。穂積を名乗り始めた基行の家系は気が遠くなるくらい昔の神話の時代の話にまでさかのぼれるようです。

ちなみに「今亀井の系図等によれば」の「今亀井」は三文字の名字に見えてしまいますが、この場合の「今」は「ここで」というような意味です。つまり、この系図に付き詳しく知るには『姓氏家系大辞典』やインターネットなどで「亀井」で検索する必要があります。

さらに「基行」をキーワードに読み進めると「鈴木基行より二十余世を経て、鈴木判官真勝あり、」と出てきます、ここでかかれている「鈴木基行」の鈴木は後付けで書かれたと判断し、「鈴木判官真勝」なる人物で初めて「ホヅミ」を、同じ意味の「スズキ(ススキ)」に読み替えて鈴木姓が登場したようです。

『姓氏家系大辞典』は、現在の苗字研究の礎となっています。立命館大学教授の太田亮氏が資料の収集に40年、執筆に6年以上かけたといわれる本です。

一般の方が、この本で苗字調査を進めるには、骨が折れることが多くあります。また、たとえば「鈴木基行より二十余世を経て、鈴木判官真勝あり、」などは現在の系図研究では、「二十余世(20世代ほど)を経て」ではなく「基行の子の良氏(よしうじ)が鈴木判官を名乗った」という説が定説となっております。

『姓氏家系大辞典』は、戦前の研究書ですので説が古くなり、インターネットで掲載されているものや近年の苗字辞典とと一致しないこともあります。

このように『姓氏家系大辞典』には系図の基礎知識がないと理解できない箇所が多々あるかもしれません。その様な場合は、他にも簡単に書いてある近年の名字辞典もあるので、そちらと見比べて理解を深めるのがいいでしょう。

苗字について調べていくと、色々な疑問が生じます。たとえば鈴木姓の分布を見ていたら、きっと下記のような考えが浮かんでくるでしょう。

疑問1)なぜ鈴木姓は、沿岸部に多く広まっているのか?

疑問2)なぜ鈴木姓は、発祥した和歌山県(1291件で14位)より、関東や北海道のほうが圧倒的に多いのだろう?

このような疑問も、少し専門的な本を読むと答えを出してくれます。

A1)熊野神家が水軍を持っていたため水路も活用し全国に広がった。そのために沿岸部に特に多く広がった。

A2)鈴木姓は熊野神社の分社とともに広まっている。熊野詣が困難な地方にこそ分社が必要だったため。

日本が名字を愛し、大切にしてきた歴史を感じられることは、名字調査の醍醐味です。名字の事を考える時、名字研究の歴史と、研究結果として残してくれた先人の労力に敬意を払わずにはいられません。