【第6回】 渡辺・渡邉・渡邊・渡部…全ての「わたなべ」の発祥は大阪に!

渡辺・渡邉・渡邊・渡部…全ての「わたなべ」の発祥は大阪に!?

約30万種もあるといわれる名字。貴族の末裔、武家の子孫、地名や職業由来……その起源を辿れば、自分のルーツを知ることができます。本連載では、家系図作成代行センター株式会社代表の渡辺宗貴氏が、様々な名字の起源や分布を解説していきます。今回取り上げるのは、日本で六番目に多い「渡辺」。

伝説の多い「渡邊綱」をルーツにもつ、渡辺姓

「渡辺」「渡邉」「渡邊」「渡部」……と、同じ読み方でさまざまな「わたなべ」があり、誰もが面倒に感じたことがあるでしょう。全国の渡辺・渡邉・渡邊・渡部姓は同族といわれ、第52代嵯峨天皇(786~842)の流れをくむ嵯峨源氏の末裔である渡邊綱(953~1025)の子孫といわれています。

渡邊綱は箕田宛(みた あつる)の子として生まれ、現在の大阪市西成区にあった渡辺村に本拠地を定めて渡辺綱と名乗りました。

綱は後に清和源氏の嫡流である源頼光に仕えて四天王の第一に数えられ、大いに武勇を轟かせます。京の一条戻橋付近で老婆に化けた鬼の片腕を斬り落とした話や、頼光四天王らとともに大江山で酒呑童子を退治した話は有名です。

綱の後、渡邊一族は全国に広がり、渡辺や渡邉・渡部とも書くようになりました。徳川家康に仕えた渡辺重綱の子孫は尾張藩徳川氏の家老となって明治に男爵を授かり、重綱の五男の子孫は大名となり、明治に子爵を授けられました。

では、渡辺姓の分布を見てみましょう。

都道府県別「渡辺」の分布
出所:2009年 NTT電話帳調べ

都道府県別「渡辺」の分布図
青の色が濃いほど、田中姓が多い(出所:筆者作成)

全国にまんべんなく広がっています。47都道府県の内、19県で10位以内に入っています。50位以下なのは6県のみ、100位以下は和歌山県の193位と沖縄県のランク外のみです。

発祥はほぼ一か所。大阪の渡辺地名。ちなみに渡辺さんの始祖渡辺綱が住んだ渡辺村は、かつての言い方では摂津国西成郡渡辺であり、場所は大阪市中央区内にあります。

その後、大阪市渡辺町と呼ばれていましたが、1988年の地名変更で渡辺町が消えそうになると、全国の渡辺さんから「ルーツが消えるのには反対」という運動がおこりました。

結局、大阪市中央区久太郎町四丁目1番、2番、3番の後に、4番という番地の代わりに渡辺の名が用いられることになり、「大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺」という少し不思議な地名として残ることになりました。

ここで、全国1~5位までの名字の復習とともに、大姓(多い名字)同士でも広がり方が違う点について見ていきましょう。

まず1位の佐藤姓は、さかのぼれば藤原氏の子孫が左衛門尉の「左」と藤原の「藤」を組み合わせて「左藤」と名乗ったことに始まります。2位の鈴木姓は穂積氏の一族が「稲穂を積み上げる(穂積)」ことを「すすき」ということにちなみ鈴木と名乗ったことに始まります。

このふたつは地名発祥ではありませんが、一つの発祥から全国に広がり大姓になったケースです。

1位の佐藤姓は藤原氏の大繁栄とともに広がりました。2位の鈴木姓は源義経の家臣鈴木三郎重家の末裔が広がったことと、鈴木氏の発祥と関連深い熊野信仰の広がり、また全国的な水路の発展も影響しています。ついで、3位の高橋姓と4位の田中姓は全国各地に無数にある高橋地名、田中地名から様々なルーツの高橋氏、田中氏が発祥しました。伊勢国(三重県)に住み着いた藤原氏の子孫が名乗った5位伊藤姓は1位の佐藤姓と同じく藤原氏の繁栄とともに広がりました。

6位の渡辺姓は佐藤姓、鈴木姓、伊藤姓に近いケースです。非常に勢力のあった渡辺綱の一族は渡辺党を名乗り全国に広がっています。日本の歴史と名字の歴史を絡めてみると互いに理解が深まります。

ちなみに渡辺姓は「三つ星に一文字」(※一般に渡辺星と呼ばれる)紋を愛用しています。

「三ツ星に一文字」紋

渡辺綱よりも古いかもしれない「渡部」

今回は『姓氏家系大辞典』とその他に近年書かれた別の名字辞典を見てみましょう。『姓氏家系大辞典』は立命館大学教授・太田亮(あきら)(1884~1956)が一生を捧げて完成させた苗字・家系研究の根本資料です。渡辺氏の解説には17ページに渡り70項目が割かれています。すべてをじっくり読むのは大変ですので、まずはポイントを押さえて斜め読みしてみましょう。

まず冒頭にはいきなり

「渡邊 ワタナベ 前条参照。」

とありますので、前条を見てみましょう。前条は漢字ちがいの渡部(ワタナベ・ワタベ・ワタリベ)氏の解説があります。

「職業部の一にして、渡船の事を職とせし……」

とあります。また、

「後世の渡部氏は主として、嵯峨源氏にして渡邊氏に同じ。」

ともあります。想像するに「渡部という船を渡す職業から渡部氏が発祥し、そのルーツは渡辺氏と同じ嵯峨源氏なのかな?」などと思えますが、専門知識なくこの二文の意味を正確に理解するのは少々難しいです。

そんな時は近年書かれた名字辞典を見るといいかもしれません。おすすめの名字辞典は

『姓氏苗字辞典』(金園社 丸山浩一著)
『日本姓氏大辞典 解説編』(角川書店 丹羽基二著)
『全国名字大辞典』(東京堂出版 森岡浩著)

です。いずれかを読めば、

・渡部という船を渡す職業から渡部氏が発祥
・その発祥時期は渡辺氏の始祖渡辺綱より古い
・後に、渡部氏と渡辺氏のルーツは同一とされていった

ということがわかります。『姓氏家系大辞典』をすっ飛ばして最初からおすすめの名字辞典を読めばいいのでは? という疑問もわくと思います。また、渡辺姓のような大姓であればWEBに記載があるでしょうから、これくらいの事であればインターネット検索で事足りるでしょう。それでもやはり自分の名字を調べたいと考えたときは『姓氏家系大辞典』は最初に見たいところです。

『姓氏家系大辞典』の渡辺さんの項目に戻りましょう。先に見た

「渡邊 ワタナベ 前条参照。」

の後に

「摂津、磐城等にこの地名が存す。」

とあります。摂津は大阪府なので、前述の大阪の渡辺町でしょう。磐城は福島県。福島県にも渡辺地名があったようです。もしかしたら渡辺綱とは別の発祥があるのかもしれません。気を付けてみていきましょう。

まず1項目にはやはり嵯峨天皇を祖とする渡辺綱の記載。2項目からはその子孫の家系の記載が続きます。6項目目に

「秀郷流藤原姓荒木氏族 これも摂津の豪族にして…」

という記載。ということは、大阪の渡辺町から渡辺綱とは別系統で藤原氏からの渡辺氏の発祥があったのかもしれません。

ここで家紋と名字の話を少しします。全国1位の佐藤姓や5位の伊藤姓のように藤原氏を祖とする家系はやはり藤原氏の代表家紋の下がり藤など藤紋を使います。2位の鈴木姓は鈴木氏の元となった穂積氏にちなみ、稲穂紋や藤紋をよく使います。3位の高橋姓は高い柱(髙橋)を表す笠紋を愛用しますが、そのルーツにより様々な家紋を使います。4位の田中姓もそのルーツにより様々な家紋を使います。名字によって多彩な家紋を使う家系もあれば、「この名字ならこれ!」という場合もあります。

渡辺さんは後者です。渡辺さんの家紋は「三つ星に一文字」(渡辺星)。三つ星は渡辺氏のルーツ嵯峨天皇のシンボル。その下の「一」は「一」と書いて「かつ(勝つ)」とも読むため縁起を担いでつけたものです。

ちなみに13位の佐々木姓の家紋も「この名字ならこれ!」という後者のケースで、代表家紋は隅立て四つ目です。

では、『姓氏家系大辞典』に戻って、藤原氏発祥で荒木氏族の渡辺氏があることがわかりました。「ウチは渡辺なのに家紋はなぜか藤紋なんだ?」などというケースは、渡辺綱とは別家系の可能性もあるかもしれません。他にも

「村上源氏赤松氏族発祥の渡辺氏。」

「古代氏族賀茂氏発祥の渡辺氏。」

「橘氏を祖とする(諸説あり)楠木正成の裔の渡辺氏。」

などと、いくつか渡辺綱とは別家系の渡辺氏がいるようです。また30項目に

「磐城(福島県)菊多郡(石城郡)に渡辺村あり、関係あるか。……」

とあります。この地名からの渡辺氏の発祥の可能性があるものの『姓氏家系大辞典』作成時には詳細が判明していなかったということと思われます。この件について調べるには、近年の名字研究結果や福島県の名字辞典などに記録がないか探さないとならないかもしれません。全国の渡辺さんの大半は渡辺綱にゆかりがあるようですが、じっくり調べるとまた違う家系の可能性もあるようです。

渡辺綱以外の渡辺氏の発祥があることはかなり詳しい名字辞典じゃないと出ていません。大阪の渡辺町以外に渡辺氏の発祥の可能性がある地名があることはかなり詳しい名字辞典でもなかなか出ていないかもしれません。

※それはその名字辞典の著者の知識が不足しているという問題ではなく、紙面の都合やその書籍の目的によるものです。

最後に、『姓氏家系大辞典』やその他苗字辞典の使い方を考えてみましょう。たとえばインターネットの情報やたまたま手に取った苗字辞典のみの情報を頼りに

「そうか!私は渡辺なんで嵯峨天皇につながっているんだ!」

と判断するのは少し危険かもしれません。名字研究の世界は(名字研究に限らずですが)、誰も研究していない部分を一から調査するもあれば、先人の研究結果を利用させていただき、更なる調査を重ねていく作業もあります。いろんな名字辞典やインターネットの情報をみるとあっこの記述は『姓氏家系大辞典』(あるいは他の名字辞典)を基にしているんだなと、感じることが非常に多いです。信頼できる苗字辞典であれば、さらに新たな見解や独自の調査結果を載せてくださっています。

たとえば、2位鈴木姓では鈴木氏の始祖「鈴木基行」について『姓氏家系大辞典』では

「鈴木基行より二十余世を経て、鈴木判官真勝あり、」

と、ありますが、現在の系図研究では、「二十余世(20世代ほど)を経て」ではなく「基行の子の良氏(よしうじ)が鈴木判官を名乗った」という説が定説となっております。今、私たちが名字について知ることができるのは、先人が情熱をささげて取り組んでくれた調査結果があるからです。いつもながら感謝の意があふれ出てきます。