【第3回】著者の戸籍で実践!「祖先」はどこまで遡っていけるのか?

著者の戸籍で実践!「祖先」はどこまで遡っていけるのか?

本連載は、家系図作成代行センター株式会社代表・渡辺宗貴氏の著書『わたしの家系図物語(ヒストリエ) 』(時事通信社)から一部を抜粋し、物語を交えながら家系図の作り方を紹介します。今回は著者の戸籍を例に、具体的な戸籍調査の方法について見ていきます。

「戸籍がいつできたか」を見て一つ前の戸籍を遡る

著者「渡辺宗貴(わたなべ むねたか)」の戸籍を見本に、現在から江戸末期まで戸籍をさかのぼってみましょう。戸籍請求のコツや、読み方のコツも同時に学びます。

◆現在の戸籍

下記の図表1は、「渡辺宗貴」の現在の戸籍です。

[図表1]現在の戸籍

本籍地が札幌市清田区なので、清田区役所に保管されていました。父の名「莊一」が載っています。1代前までさかのぼれました。

莊一←宗貴
※家系図の書き方については、前回(関連記事:『家系調査ができなくなる!? 今すぐ「戸籍」を取り寄せるべき理由』)を参照。

この戸籍から、一つ前の戸籍請求先を読み取ります。基本は「戸籍がいつできたか」を見て、一つ前の戸籍を取ることです。また「従前戸籍」「転籍」「分家」等の記載から、より古い戸籍を同時に請求することもできます。まずは「戸籍事項転籍」欄より。

【転籍日】平成20年6月5日
【従前本籍】北海道札幌市白石区北郷一条七丁目7番

とあります。

「札幌白石区役所」に、渡辺宗貴が筆頭者の転籍前の戸籍があることがわかります。もう一つは「身分事項婚姻」欄より。

【婚姻日】平成18年7月28日
【配偶者氏名】玉置朱羽子
【従前戸籍】北海道札幌市豊平区月寒東三条十七丁目15番渡辺莊一

「札幌豊平区役所」に婚姻(結婚)前の戸籍があることがわかります。筆頭者は「渡辺莊一」。結婚前は、父の戸籍に子どもとして入っていたわけです。このように、一つの戸籍から複数の請求先がわかるケースがよくありますが、どちらの戸籍も請求します

◆1代前の戸籍

下記の図表2は、「渡辺宗貴」の父「渡辺莊一」の戸籍です。

[図表2]1代前の戸籍

「渡辺莊一」の父として、「渡辺荘三郎」が載っています。2代前までさかのぼれました。

荘三郎←莊一←宗貴

次の請求先を読み取ります。「戸籍事項戸籍改製」より。

【改製日】平成14年3月2日
【改製事由】平成6年法務省令第51号附則第2条第1項による改製

とあります。戸籍法の改正でこの戸籍ができたということは、同じ役所に改正前の戸籍があるということです。この戸籍と同じく、「札幌豊平区役所」に戸籍を請求します。「身分事項婚姻」欄より。

【婚姻日】昭和43年6月5日
【配偶者氏名】葛西巴
【従前戸籍】北海道釧路市鳥取43番地渡邉荘三郎

とあります。「釧路市役所」に婚姻(結婚)前の戸籍があることがわかります。筆頭者は「渡辺荘三郎」。「渡辺宗貴」の父「渡辺莊一」も、結婚前は父(宗貴の祖父)の戸籍に子どもとして入っていたわけです。宗貴の住む札幌市と釧路市は、車で7時間くらいかかる距離ですので、郵送で請求しましょう。請求時に必要な情報は、図表3の通りです。

[図表3]郵送での請求時に必要な情報

ちなみに、父方以外に、母方もたどることができます。この戸籍に「渡辺宗貴」の母「渡辺巴(旧姓葛西)」が記載されています。物語のモデル(=葛西美々)となった著者の母方葛西家です(関連記事:『4つの時代ごとに先祖のたどり方が異なる!「家系調査」の基本』)。「身分事項婚姻」欄より。

【婚姻日】昭和43年6月5日
【配偶者氏名】渡辺莊一
【従前戸籍】北海道釧路市堀川町7番地11葛西丑藏

とありますので、母方もたどる場合は「釧路市役所」に請求します。

◆2代前の戸籍

下記の図表4は、「渡辺宗貴」の祖父「渡邉荘三郎」の戸籍です。

[図表4]2代前の戸籍

曾祖父「渡邉荘太」の名が載っています。3代前までさかのぼれました。

荘太←荘三郎←莊一←宗貴

ところで、「渡辺」ではなく「渡邉」と書かれていますが、これは近年簡単な「辺」に表記を変えるよう届け出たためです。それでは、次の請求先を読み取ります。右側上の欄に、

「上磯郡上磯町字茂邉地二百五番地から転籍 渡邉ユミ届出 昭和三十七年八月十四日受付」

とあります。渡邉家は、釧路に来る前は、同じ北海道の上磯(かみいそ)町に住んでいたようです。このあたりから古い時代の地名が出てきて、請求先がわかりにくいケースがあります。古い地名は、役所に聞いたりインターネットで調べたりします。「上磯町」をネットで検索すると、「北海道渡島(おしま)支庁中部にあった町で現在の北海道北斗(ほくと)市」であることがわかりますので、「北斗市役所」に戸籍を請求します。

戸籍を遡るだけでなく「没年」まで追うことも必要

◆転籍前の2代前の戸籍

図表5も、「渡辺宗貴」の祖父「渡邉荘三郎」の戸籍です。祖父の転籍前の地である上磯町(現在の北斗市)に請求した戸籍です。

[図表5]転籍前の2代前の戸籍

先ほどの戸籍以上にさかのぼれていませんが、「渡邉荘三郎」の上の欄に、

「上磯郡茂別村字茂邊地二○五番地 戸主荘太参男 分家届出 昭和八年一月十二日受付」

とあります。戸主とは、現在の筆頭者にあたります。分家とは、旧民法の制度です。このあたりから、現在の戸籍表記とは違う記載が散見されますし、手書きで字が読みにくいことが多くなってきます。「渡邉荘三郎」は分家をしてこの戸籍の戸主となったようですが、その前は父「渡邉荘太」が戸主の戸籍に入っていたようです。「北斗市役所」に戸籍を請求します。

◆3代前の戸籍

下記の図表6は、「渡辺宗貴」の曾祖父(3代前)「渡邉荘太」の戸籍です。

[図表6]3代前の戸籍

「荘太」の父「渡辺荘兵衛」の名が載っています。4代前までさかのぼれました。

荘兵衛←荘太←荘三郎←莊一←宗貴

次の請求先を読み取ります。この戸籍の請求先は、二つ。「渡邉荘太」が「この戸籍の前にいた戸籍」と「この戸籍の後に入った戸籍」です。まずは、この戸籍の前にいた戸籍を請求します。「渡邉荘太」の上の欄に、

「上磯郡茂別村大字茂辺地村字茂辺地百十七番地 戸主渡辺まる伯父 分家届出大正十四年十月三日受付」

とあります。「渡邉荘太」は、この戸籍ができる前は、「渡辺まる」という人物の戸籍に入っていたようです。「渡邉荘太」が「渡辺まる」の伯父に当たるということは、「渡辺まる」は「渡邉荘太」の兄の子どもなのでしょうか?「北斗市役所」に分家前の戸籍を請求します。ちなみに、「渡辺まる」は「渡辺」と表記されています。何か理由があるのでしょうか? 後ほど、この後の戸籍の表記を見てみましょう。

次に、この戸籍の後に入った戸籍を請求します。「渡邉荘太」の上の欄に、

「隠居届出 昭和八年二月十二日受付」

とあり、その後に、次のようにあります。

「昭和八年二月十二日 渡邉荘之助 家督相続届出アリタルニ因リ本戸籍ヲ抹消ス」

これは、この戸籍は、「渡邉荘太」が隠居し、次男である「渡邉荘之助」に家督相続させたため、除籍になったということです。同じ本籍に家督相続して戸主となった「渡邉荘之助」の戸籍があり、「渡邉荘太」はその戸籍に入っているということです。「北斗市役所」に隠居後の戸籍も請求します

このように、ただ戸籍を追うようにさかのぼるばかりではないケースも出てきます。この隠居後の戸籍を追わないと、隠居後の荘太の経緯がわからなくなります。つまり、さかのぼるばかりではなく、没年まで追うという考え方も必要になります。

◆3代前の隠居後の戸籍

まずは、先ほどの戸籍の後の戸籍(図表7)です。

[図表7]3代前の隠居後の戸籍

家督相続して戸主となった「渡邉荘太」の次男「渡邉荘之助」が戸主の戸籍です。隠居した「渡邉荘太」が入っています。この戸籍を取得することで、「渡邉荘太」の没年が判明しました。

「昭和十九年二月二十五日午後十時四十分 岩内郡岩内町字大浜百二十三番地ニ於テ死亡戸主渡邊荘之助届出同月二十九日受付」

とあるからです。戸主の「渡邉荘之助」ですが、「渡邉荘(太)之助」と書かれています。この「太」は書き間違いです。「太」→「之助」と修正された跡です。よく見ると、戸籍の上の段に「一字訂正」とあります。このような書き間違いや修正はよくあります。

◆3代前の前の戸籍

次に、先ほどの戸籍の前の戸籍(図表8)です。

[図表8]3代前の前の戸籍

戸主「渡辺まる」の上の欄に、

「大正九年十月二十二日 前戸主荘?死亡ニ因リ家督相続届出」

とあります。「北斗市役所」に戸籍を請求します。このケースのように、単純に「父→祖父→曾祖父→…」と、直系の戸籍をさかのぼるだけではないことがよくあります。

ところで、「前戸主荘?」とは何者でしょうか? 次の戸籍を見れば判明するかもしれませんが、この戸籍からちょっと検証してみましょう。「渡辺まる」の右の欄を見ると、「父千葉彌作」「母こと」とあり、さらに右に「渡辺荘?養子」とあります。

①「渡辺まる」の実の両親は、千葉家。
②「渡辺まる」は、「千葉まる」として生まれ、「渡邊荘?」の養女となる。
③「渡邊荘太」は、「渡辺まる」の叔父(「渡邊荘太」から見ると「渡辺まる」は兄の子ども)

ということは、「渡邊荘?」は「渡邊荘太」の兄です。

[図表9]「渡辺まる」とは?

このように、古い戸籍(正確には、1955〔昭和30〕年に戸籍法が改正される前に使われていた改製原戸籍)には、家族(配偶者、子ども)だけでなく、祖父やきょうだいの配偶者、きょうだいの子ども、孫まで記載されています。

一方、現行の戸籍(現在の戸籍)には、筆頭者をはじめ、その家族──すなわち、配偶者や子どもだけが載っています。要するに、家族単位です。これは、「三代戸籍禁止の原則」といって、親子2代までしか記載されないからです。

[図表10]今と昔の戸籍の記載内容

◆3代前の兄が戸主の戸籍

下記の図表11は、渡辺宗貴の曾祖父(3代前)荘太が入った、兄・荘吉が戸主の戸籍です。

[図表11]3代前の兄が戸主の戸籍

「渡邉荘吉」の左の欄に、

「前戸主荘兵衛明治四十二年五月三十一日死亡二因リ戸主ト為ル同年七月一日家督届出同日受付」

とあります。「北斗市役所」に戸籍を請求します。「『渡辺』なのか?『渡邉』なのか?」についてですが、古い戸籍になればなるほど、このようなケースはよく見られます。例えば、「高橋さん」「高田さん」の「高」という字。「髙」といういわゆる「はしごだか」に表記されることもあります。「斉藤さん」の「斉」もいろいろな表記があります。なぜこのようなことが起きるのか、大きく2パターンの理由が考えられます。

(1)漢字の表記に対する何らかのこだわり
(2)役所の人の書き癖

(1)の場合は、例えば「高田さん」の「高」と「髙」。もともとは「高」の歴史が古く後に「髙」が生まれました。例えば、ある地域の「高田さん」本家に当たる家が、分家した家を本家と区別するために「高」を使わせず、「髙」を使わせた(あるいはその逆)などといったケースが考えられます。

(2)の役所の人の書き癖ですが、古い時代の戸籍ではこういうことがよくあります。これは、役所の人がいい加減だったというわけではありません。そもそも中国から入ってきた漢字は、当時さほど重視されておらず、読みが合っていればそれでよかったのです。

この戸籍を見るに、戸主「渡邉荘吉」もその父「渡邉荘兵衛」も「渡邉」ですが、この「渡邉荘兵衛」は「アサ」の右では「亡渡辺荘兵衛妻」とあります。同じ戸籍内で同一人物の苗字が違う表記にされています。特段明確な理由なく、「渡邉」と「渡辺」が混在しているようです。

ということは、(2)のケースで、この戸籍を書いた役所の人の書き癖と推測されます。同じく「荘」の字も「莊」と書かれている箇所もあります。これも役所の人の書き癖と推測されます。

◆4代前の戸籍

下記の図表12は、「渡辺宗貴」の4代前「渡邉荘兵衛」の戸籍です。

[図表12]4代前の戸籍(明治19年式戸籍)

「荘兵衛」の養父として、「渡辺荘兵衛」の名があります。5代前までさかのぼれました。

荘兵衛←荘兵衛←荘太←荘三郎←莊一←宗貴

この戸籍は「明治19年式戸籍」であり、これ以上古い戸籍はありませんでした。これ以上古い戸籍がないかどうかの見極めは、「明治19年式戸籍」の形式を覚えるなど、少し経験とコツがいります。ですので、これ以上古い戸籍がないかどうかは、必ず役所に確認しましょう(私の場合、この戸籍を発行した「北斗市役所」に確認しましたが、残念ながらありませんでした)。

また、戸主「渡邉荘兵衛」の上の欄に、次のようにあります。

「嘉永元年六月一日 秋田県南秋田郡脇本村 加藤平助二男入籍ス」

戸主「渡邉荘兵衛」は、脇本村の加藤家に生まれ、北海道の渡邉家に養子として入ったようです。このような場合は、実家である加藤家の戸籍があるかどうかを確認してみましょう(加藤家の戸籍も、「秋田県男鹿市〔戸籍にある「秋田県南秋田郡脇本村」の現在の地名〕役所」に確認したところ、残念ながらありませんでした)。