『1000年たどる家系図の物語』 第五章 -人皇第五十代帝桓武天皇四十世ノ子孫源静香-

【小説版】「1000年たどる家系図の物語(仮)」-目次‐
序章 源静香と1000年の家系図
【第一部】
第一章 1000年の物語を紡ぐ旅
第二章 家系図はじめました
【第二部】
第三章 200年前 戸籍が紡ぐ軌跡
第四章 400年前 藩政資料が紡ぐ武士の人生
第五章 1000年前 -人皇第五十代帝桓武天皇四十世ノ子孫源静香-←このページはコチラになります。
【第三部】
第六章 また家系図はじめました
第七章 人はなぜ家系図を作るのだろう?
第八章 霧の渋民
第九章 雨の渋民
第十章 飴の渋民~泣いた赤鬼~
第十一章 虹の渋民
第十二章 伊予守源義経~夢とロマンと…
-終章- 優しくなりたい
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第五章 -人皇第五十代帝桓武天皇四十世ノ子孫源静香-

-初対面とポンジュース(瓶入り。すでに生産中止)-

「やあ、君が人皇第五十代帝桓武天皇の40代目の子孫である源君か。話は聞いているよ。まぁ、入って入って。」
篁先生は柔らかな声で静香さんを出迎えた。

山の手図書館での顛末はメールで簡単に伝えてあったが、篁先生と静香さんが直接会うのはこれが初めてだ。

「こんにちは。初めまして、えーと…桓武天皇さん?の40代目?えっ、私が!?」
静香さんは驚きつつも、興味津々で話を聞いている。

「まぁ、座ってくれ。」
篁先生は冷蔵庫から瓶入りのポンジュースを取り出し、丁寧に注いでくれた。懐かしい太いふたの容器だ。どこで手に入れたのだろう?

-『松平陸奥守家来遊馬野家庶腹』を読み解く男-

「経緯は聞いたよ。戸籍で6代前、『伊達亘理家臣系譜』でさらに9代遡り、遊馬野直時氏が源君の15代前に当たるわけだな。」
篁先生が静かに語り始める。

「はい。」静香さんが素直に頷く。

「直時氏の注釈に『松平陸奥守家来遊馬野家庶腹』とあっただろう。渡辺君、この意味はわかるかい?」
「えっと…『庶腹』って、腹違いの子供、つまり側室の子供を指す言葉ですよね?」なんとなく静香さんの前で出しにくい話だが歴史の一部だ。
「その通りだ。」篁先生が頷く。
「それ以外はわかりませんでした。」
篁先生は微笑みながら続きを話してくれる。

-仙台藩主伊達氏、松平を名乗る-

「まず、『松平陸奥守家来』は仙台藩を指している。江戸時代、伊達氏は松平姓を名乗っていたんだ。」

「えっ、伊達氏が松平さんを名乗ってたんですか!」静香さんが目を丸くする。
僕もノートを取りながら感心する。まだまだ知らないことがたくさんある。

篁先生はさらに説明を続けた。「当時の武士たちは、自分たちの藩を直接名乗らなかった。かわりに主君の官職名を借りて表現していたんだ。会津藩なら『松平中将家来』、薩摩藩なら『松平薩摩守家来』といった具合だね。」

「それって、僕ら一般人にはわかりづらいですね。」
「その通りだ。現代の小説や歴史書では『藩』で統一しているが、江戸時代の古文書では『藩』という言葉は使われていないんだ。」

-亘理藩への移動を見抜く男-

「つまり、直時氏は本藩である仙台藩士遊馬野家の側室の子だった可能性が高いんだ。」篁先生は穏やかな口調で続ける。

静香さんが少し首を傾げながら尋ねた。「えっと…じゃあ、直時さんは亘理藩に移されたけれど、お父さんは仙台藩に残っているってことですか?」

「その通りだ。」篁先生は頷きながら説明を続ける。「支藩に移る際、家禄は通常1/3程度に減らされる。だから、直時氏が亘理藩で13石だったことを考えると、本藩の父の家禄は少なくとも30石以上あったはずだ。」
「そうなんですか!」僕は驚きながら頷いた。まだまだ勉強不足だと痛感する。

篁先生は穏やかに微笑みながら付け加えた。「30石以上となると、中級以上の家柄といえる。それなりに地位のある人物であれば、記録に名前が残っている可能性が高い。」

「なるほど…。」メモを取りながら、少しずつ家系の全貌が見えてきた気がした。

「実際に調べたところ、仙台藩で30石以上の家禄を持つ遊馬野家は、一家だけだった。」

-仙台藩士遊馬野家-

篁先生が本棚から一冊の辞典を取り出した。
「この『宮城県姓氏家系大辞典』には、仙台藩士をはじめ宮城県の主要人物が多く記載されている。素晴らしい文献だよ。」
篁先生の言葉には本に対する愛情が溢れている。

「ここに、直時氏の父と思われる『遊馬野義直』という仙台藩士の記録がある。さらにその長男『義清』も仙台藩士として名を残している。そして義直氏の3代前には『三浦義意』という有名な武将がいる。」篁先生はページを指しながら説明を続けた。

-『仙台藩士遊馬野家』系譜- ※『宮城県姓氏家系大辞典』より
三浦 義意
家紋ハ三浦三ツ引キ
「八十五人力の勇士」と称される

遊馬野 義遠
陸奥国○○郡遊馬野に逃れ、遊馬野に改姓。浪人として生涯を終える

遊馬野 義勝
伊達輝宗(1544~)に召し抱えられる。仙台藩士

遊馬野 義直
伊達政宗(1567~)に仕えて鷹匠を命じられる
家禄35石

遊馬野 義清
家禄35石
鷹匠

-通し字を見抜く女-

「鷹匠を務めていた点や家紋の一致からも、当家がこの家につながるのは間違いない。」篁先生が穏やかながら熱のこもった声で説明を続ける。

「さらに、年代的に義直氏が直時氏の父にあたり、兄である義清が本藩で家督を継ぎ、弟である直時が支藩に移ったと考えると筋が通る。」

「あっ!通し字!」静香さんがふと気づいたように声を上げる。「長男が遊馬野義直さんの『義』を継いで義清、うちの先祖が『直』を継いで直時ってことかな?」

篁先生は微笑みながら頷いた。「その通りだ。名前の継承は家柄の伝統を示している。そして、家督や役割が本藩と支藩で分担される形になっているのも理にかなうね。ちょっと整理してみよう。」

-『家紋ハ三浦三ツ引キ』-


19代前:三浦 義意(「八十五人力の勇士」と称される)
18代前:遊馬野 義遠(浪人。遊馬野に改姓)
17代前:遊馬野 義勝(仙台藩士となる)
16代前:遊馬野 義直(鷹匠を命じられる)
15代前:遊馬野 直時(義直の庶腹。亘理藩に移動)

「三浦義意氏の子義遠が遊馬野を名乗り、その子義勝の代から伊達氏に召し抱えられ仙台藩士に、そして義直氏が鷹匠を務め、直時氏に繋がる流れが見えてきたね。」

「すごい!ご先祖様がこんなにしっかり記録に残っているんだ!」静香さんが家系図をじっと見つめながら声を弾ませる。

篁先生は微笑みながら頷く。
「家紋が桓武平氏三浦氏族の特徴的な家紋だったからな。三浦氏につながるんだろう、とは思っていたが。遊馬野家が代々守ってきた歴史の重みが伝わってくるね。こういった記録が残されているのは本当に貴重なことなんだよ。」

-「八十五人力の勇士」三浦義意-

「次はこの義意君をさらに調べてみよう。」
篁先生の自然な「義意君」という呼び方に、静香さんは思わずくすっと笑う。
小声で「義意君…」と繰り返しながら、ノートにメモを取る姿が微笑ましい。
歴史の重みを感じさせつつも、部屋にはどこか和やかな空気が漂っている。

僕はノートを取りながらふと思う。この人、どんなに複雑な家系図の話でも楽しそうだ。

「義意君は相模三浦氏最後の当主といわれる有名な戦国武将だ。」篁先生が一冊の辞典を手に取り、興奮気味にページを開く。

「この『姓氏家系大辞典』は日本の苗字を網羅した宝のような文献だよ。」
本に対する愛情が溢れ出しいる。

「義意君からその11代の祖佐原十郎義連まで記載されている。」

『姓氏家系大辞典』より

30代前:佐原 十郎 義連(鎌倉幕府の重臣三浦義澄の弟)
29代前:佐原 盛連
28代前:三浦 盛時
27代前:三浦 頼盛
26代前:三浦 時明
25代前:三浦 時継
24代前:三浦 高継
23代前:三浦 高通
22代前:三浦 高明
21代前:三浦 時高
20代前:三浦 義宗
19代前:三浦 義意(「八十五人力の勇士」と称される)

-オレンジジュースで酔える男-

静香さんが驚きの声を上げる。「私の30代前…すごい。義連さんってどの時代の人なんですか?」

「義連君の生没年は不詳だけれど、彼が鎌倉幕府の御家人三浦義澄の弟であることは確かだ。三浦義澄が大治2年(1127)生まれだから、義連君も同じ時代の人物だろうね。」

800年以上も前の話に、静香さんの目は感動で輝いている。
一方で、なぜか篁先生の目は静香さんよりも輝いている。
そうだ!篁先生(下戸)にとって、家系図は心に染み渡る極上のワインだった。

-遊馬野家、1000年の軌跡-

篁先生はさらに古い本を2冊棚から取り出し、そっとテーブルの上に並べた。
「幕末に国学者飯田忠彦氏が編纂した『系図纂要』と、南北朝時代に左大臣洞院公定氏が編纂した『尊卑分脈』だ。」
篁先生は微笑みつつ続ける。「『系図纂要』には義連君から33代前の三浦為継氏まで、『尊卑分脈』には為継君から40代前の桓武天皇まで記録されている。」

桓武天皇(40代前) → 平高望 → 三浦為継(33代前) → 佐原十郎義連 → 遊馬野義遠(18代前) → 亘理藩士遊馬野家 → 源静香(現在)

「桓武天皇から始まり、平高望によって『平』の氏が誕生し、村岡、三浦、佐原を経て遊馬野へ…。」
篁先生の声が、時代を超える物語を紡いでいく。
「そして仙台藩に召し抱えられた当家は亘理藩士として北海道に渡った。」

-1000年の軌跡が残る奇跡-

篁先生は膨大な情報を紡ぎ終えた後、一呼吸置いて言葉を続けた。
「各時代の編纂者たちは、よくぞ我々の先祖の記録を現代まで残してくれたものだよ。」
篁先生の声には、歴史への敬意と、本への溺愛が滲んでいた。

-君がいる奇跡-

篁先生は少し目を細め、柔らかな口調で語りかけた。「こうして紡がれた歴史の先端に、静香君がいる。それは本当に素晴らしいことだね。」

静香さんは感動で目を潤ませながら深く頷いた。

歴史を語る声が静かに消え、篁先生は軽く息をつくように一言添えた。
「さて、話はこのくらいにして…」篁先生は立ち上がり、穏やかな表情で言った。「渡辺君、静香さん。坊ちゃん団子を用意してあるよ。」

静香さんは団子を手に取り、「ありがとうございます!」と笑顔を見せた。

彼女には涙より、明るい笑顔がよく似合う。


40代前:桓武天皇(人皇第五十代帝)
39代前:葛原親王
38代前:高見王
37代前:平高望
36代前:良文(村岡五郎)
35代前:村岡忠通
34代前:三浦為通
(※上記は『尊卑分脈』に基づく)
33代前:三浦為継
32代前:三浦義継
31代前:三浦義明
(※上記は『系図纂要』に基づく)
30代前:佐原 十郎 義連(鎌倉幕府の重臣三浦義澄の弟)
29代前:佐原 盛連
28代前:三浦 盛時
27代前:三浦 頼盛
26代前:三浦 時明
25代前:三浦 時継
24代前:三浦 高継
23代前:三浦 高通
22代前:三浦 高明
21代前:三浦 時高
20代前:三浦 義宗
19代前:三浦 義意(「八十五人力の勇士」と称される)
(※上記は『姓氏家系大辞典』に基づく)
18代前:遊馬野 義遠(浪人。遊馬野に改姓)
17代前:遊馬野 義勝(仙台藩士となる)
16代前:遊馬野 義直(鷹匠を命じられる)
15代前:遊馬野 直時(義直の庶腹。亘理藩に移動)
14代前:遊馬野 直明
13代前:遊馬野 直行
12代前:遊馬野 直定
11代前:遊馬野 直為
10代前:遊馬野 直常
9代前:遊馬野 直幸
8代前:遊馬野 直長(清人)
7代前:遊馬野 直重(菊之進)
(※上記は『亘理藩士 家系図』および『伊達亘理家臣系譜』に基づく)
6代前:遊馬野 直房(長十郎)
5代前:遊馬野 直喜(市太郎。北海道伊達市に転籍)
4代前:照宗
3代前:遊馬野 宗行
2代前:遊馬野 和樹
1代前:源 静子(源道哉と婚姻)
本人:源 静香
(※上記は戸籍調査より)