
【小説版】「1000年たどる家系図の物語(仮)」-目次‐
序章 源静香と1000年の家系図
【第一部】
第一章 1000年の物語を紡ぐ旅
第二章 家系図はじめました
【第二部】
第三章 200年前 戸籍が紡ぐ軌跡←このページはコチラになります。
第四章 400年前 藩政資料が紡ぐ武士の人生
第五章 1000年前 -人皇第五十代帝桓武天皇四十世ノ子孫源静香-
【第三部】
第六章 また家系図はじめました
第七章 人はなぜ家系図を作るのだろう?
第八章 霧の渋民
第九章 雨の渋民
第十章 飴の渋民~泣いた赤鬼~
第十一章 虹の渋民
第十二章 伊予守源義経~夢とロマンと…
-終章- 優しくなりたい
——————————–
第三章 200年前 戸籍が紡ぐ軌跡
-おじいちゃんしか知らなかったのに-
三週間後、静香さんが母方・遊馬野家の戸籍を持ってきた。
「よく集めましたね。大変だったんじゃないですか?」
「ほんと、わけわからなくて。どれがどの戸籍なのか、さっぱりわからなくて頭こんがらがった!」
途中で母方に絞るよう提案したのが効いたようだ。
「清田区役所では札幌にあるものをすぐ取れたけど、その後は郵送で伊達市に請求して、ついに高祖父(ひいひいおじいちゃん)の名前がわかったの!」
さらに古い戸籍になると旧字が多く読みにくくなり、タマにLINEで助けを求めて、旧字の読み方を教えてもらったりしてた。
「もう気になりすぎて、気づいたら『速達』って書いてた(笑)! それでも待ちきれなかった!」
-遊馬野家、200年の軌跡-
静香さんが持参した戸籍を整理する。
まず、静香さんを初代とすると——
母は静子さん、その父であり静香さんの祖父は和樹さん……。
こうして遡っていくと、6代前の「遊馬野直房」にたどり着いた。
墨書きで記された名前の数々。
その一つひとつが、彼女の家族が確かにこの地で生きてきた証だった。
『遊馬野家戸籍』より
本籍地:宮城県登米市迫町佐沼
6代前:遊馬野 直房(生没年不明)
5代前:遊馬野 直喜(嘉永3(1850)年生、明治3(1870)年に北海道伊達市に転籍)
4代前:照宗
3代前:宗行
2代前:和樹
1代前:静子(源家に嫁す)
現代:静香
「直房氏がおおよそ200年前のご先祖様ですね。」
そう伝えると、静香さんは戸籍をじっと見つめ、指でなぞるようにその文字を追った。
「200年前に生きていた人の名前が、こうして目の前にあるんだね……。なんか、不思議。」
そうつぶやく声は、どこか遠くを見ているようだった。
-鷹匠小路から繋がる歴史-
「やはり、武士だった可能性が高いですね。」
「えっ、すごい!なんでわかるの?」
「注目すべきは5代前と6代前の直喜さんと直房さん。江戸時代の庶民には珍しい格式のある名前です。それに、本籍地の宮城県登米市迫町佐沼も、大きな手がかりになります。」
手元の地名辞典を開きながら説明する。
「登米市迫町佐沼には、かつて武士が暮らす家中屋敷が立ち並ぶ 鷹匠小路 という場所がありました。仙台藩や亘理藩の武士たちの生活の中心地だったようです。」
「へえ……! じゃあ、うちの先祖もそこに住んでたのかな?」
「可能性は高いですね。遊馬野家も、この一角に屋敷を構えていたかもしれません。」
静香さんは驚いたように目を見開いた後、「なんかすごいね……!」と声を弾ませた。
「こんなに詳しく家族のことがわかるなんて、想像もしなかった!」
興奮気味に戸籍を手に取り、じっと見つめる。まるで過去に繋がる扉が開かれたような感覚なのかもしれない。
-江戸時代の武士の物語-
「では、次の調査方針を立てましょう。」
藩の記録を調べるのが、次のステップになりそうだ。
「宮城の文書館や図書館に問い合わせて、『藩士系図』や『分限帳』を確認してみましょう。」
そう伝えながら、静香さんの手元にある戸籍を改めて見つめた。
(実は、札幌でもある程度の調査は完結するかもしれない。)
そう思ったが、それは言わなかった。
古い戸籍が届くたびに目を輝かせる静香さんの姿を見ていると、彼女にとっての家系調査は、ただ答えを得ることではなく、一つひとつ歴史を辿ること自体が大切なのだと感じたからだ。
「宮城の記録を紐解けば、きっとさらなる手がかりが得られると思います。」
そう告げると、静香さんはぱっと顔を上げ、力強くうなずいた。
「うん、じゃあ、速達で問い合わせてみる! 返事が来たら、また渡辺さんに見てもらってもいい?」
彼女の目は好奇心で輝いている。
次の調査が始まる――その一歩を踏み出すワクワク感が、ひしひしと伝わってきた。
「もちろんですよ」
-千年の静けさ、永遠の香り-
「ところで…」
帰り支度をする静香さんに、ふと尋ねた。
「お母様、静子さんっていうんですね。」
「うん。結婚して『源 静子』になったの。ドラえもんのしずちゃんと一字違いじゃんってよく言われてたみたい」
「そうなんですね」
「でね、私の名前…お父さんがすご-く真剣に考えて。」
静香さんは、どこか誇らしげに続ける。
「お父さん、『静子の静と、響きがいい名前を合わせよう』って、一生懸命考えて、『静香』にしたの。」
「お母さんは『それじゃ、しずちゃんじゃん』って思ったらしいんだけど、お父さんが本当に真剣に考えた名前だったから、それもいいかなってなったみたい。」
静香さんは、ふっと笑った。
「でね、お父さん、あとから『あっ!』ってなったらしいの。気づいてなかったんだって。」
「えっ、本当にですか?」
「うん。なんていうか…お父さんって、浮世離れしてるっていうのかな。世間知らずとかじゃないんだけど、すごく頭がいいのに、たまにふわっと何かを超越しちゃってる感じがあってさ。」
静香さんの表情が、どこか懐かしそうに和らぐ。
「お母さんいわく、『地に足がついてるのに、心がどっか別の世界に飛んでることがある』んだって。私の名前も、たぶんそんな感じでつけたんじゃないかな。」
「なるほど……。」
「なんかもう、お父さんっ(笑)て感じ。」
静香さんは、にゃははと笑った。
「今日もありがとう!またお願いします…。静香って…結構気に入ってるんだ。」
最後の言葉は、ぽつりとこぼすような声だった。
言ったあと、少し照れくさそうに目を伏せて、そそっと帰って行った。
軽快なペダル音が、弾むように遠ざかっていく。
⚹
小さい頃は『何て名前つけるのよ!』って思ったこともあったけど…
あはは…もう。お父さんってば…。
…今家系図を作ってるのは、お父さんが亡くなったのがきっかけだった。
お父さんが言おうとしていたことを知りたくて。
でも今は、それだけじゃない。
戸籍をたどっていくと、知らなかった名前が次々に出てきた。
遊馬野直房、直喜、照宗――初めて見るのに、どこか親しみを感じる名前たち。
こうやって一つずつ名前をたどっていくと、なんだか不思議と家族が増えたみたいな気持ちになる。
何だろう、この気持ち。
ご先祖様のことなんて、今まで考えたこともなかったのに。
江戸時代のご先祖様。
直房……さん? 直房…様? なんて呼べばいいんだろう。
お母さんのお父さんのお父さんのお父さんの……
大好きなお母さんの、きっと大好きだったお父さん(かすかにしか覚えてないおじいちゃん)の、そのまたお父さん。
……みんなお父さんお母さんがいろんな思いで名前を考えたのかなぁ。
みんな、どんなふうに暮らしていたんだろう。
……この人たちがいなかったら、私は生まれていないのか。
⚹
-亘理藩士遊馬野家-
それから10日後、授業の合間を縫って静香さんが資料を手に再び訪れた。
「難しいとこもあったけど、いろいろ送ってくれた!」
宮城県立文書館から届いた調査結果を一緒に確認する。
—
源 静香様 調査結果
『仙台藩士 家系図』:記載なし
『仙台藩士 分限帳』:記載なし
『亘理藩士 家系図』:遊馬野家の系図あり、つながり不明
『亘理藩士 分限帳』:遊馬野直房氏、直喜氏の記載あり
≪添付資料『亘理藩士 分限帳』(明治3(1870)年作成)≫
遊馬野直房
・長十郎、鷹匠を務める
・家禄13石
・明治3年に北海道有珠郡へ移住
遊馬野直喜
・市太郎、父直房とともに移住
—
「遊馬野家が亘理藩士だったことがはっきりしましたね。」
静香さんは思わず声を上げ、「ウチの先祖、本当に武士だったんだ!」と手を軽く叩いた。
-仙台藩と亘理藩-
「でも、仙台藩と亘理藩って、2つ出てきてるのがよくわからない…」
「仙台藩が本藩で、その支藩が亘理藩ですね。本店と支店のような関係と考えるとわかりやすいと思います。」
「支店の武士なんだ。あと『長十郎』とか『鷹』とか『13石』とか、なんか面白い!」
-鷹匠と給料-
「『長十郎』は通称で、実名が直房です。鷹匠は鷹狩り用の鷹を飼いならす重要な専門職で、世襲制が多かったようです。」
「へえ、鷹匠!なんか素敵だね」静香さんの目が輝いた。
「円山動物園で鷹を腕に止まらせるイベントがありますよ。鷹匠気分が味わえます。」
「あはは、面白そう。」
話題が少し脱線し、娘たちが動物園で鷹と遊ぶ写真を見せながら笑う。
-中級武士の家禄-
「さて、家禄13石ですが、当時の物価や生活水準を考えると、現代の感覚とは少し異なります。亘理藩2万5千石では中級武士に相当し、現代の年収でおよそ153万円に相当します。」
家禄の価値は藩の規模によって異なる。仙台藩60万石のような大藩では控えめな石高だが、亘理藩では十分な役職と地位を示している。
「亘理藩での13石は、単なる数字ではなく、鷹匠としての役割や地位の重要性を表していると考えられます。」
静香さんは「今の感覚で言えば、本社の係長と地方支店の部長みたいな感じかな?」と納得した様子でうなずいた。
-家系図と分限帳、50年の空白-
調査結果をさらに整理すると、次のことが明らかになった。
『亘理藩士 家系図』
・文政3年(1820年)作成
・約200年前の記録
・遊馬野家の系図は確認できるが、つながり不明
・複写不可、現地での写真撮影可
『亘理藩士 分限帳』※今回添付の資料
・明治3年(1870年)作成
・約150年前の記録
・直房氏、直喜氏の記載あり
・遊馬野家が亘理藩士であることが確定
「『家系図』と『分限帳』の間に50年の空白があるため、つながりが確認できないのかもしれません。」
ただ、この二つの資料がつながる可能性は高い。現地で『亘理藩士 家系図』を直接確認できれば、さらなる情報が得られるだろう。
-50年の空白を埋める旅-
「行ったら写真撮れるんだよね?」静香さんは期待に満ちた声で言った。
「それなら、近いうちに行ってみる!」
「ああ、そうですか。えー、それなら…」
最後まで調査を楽しんでもらいたいと思い、あえて黙っていたが、実は宮城に行く必要はない。札幌で十分に調査は済むのだ。
「なに?」
静香さんが首をかしげる。
「いえ、ええとですね。写真を撮りに行くだけですか?それとも観光も含めて、ご先祖様が暮らした地を見て回ってみたい、という感じですか?」
「うん!見てみたい!観光がてら2~3泊くらいで、いろいろ巡りたいと思ってる。」
静香さんの嬉しそうな表情に、こちらまで気持ちが弾む。
そうか。それなら、きっと行ったほうがいい。ご先祖様の住んだ地を訪れるのは、単なる調査以上の価値をもたらしてくれるものだ。現地でしか味わえない空気や、新たな発見が待っているだろう。静香さんには、その特別な体験をぜひ味わってほしいと思った。
「行く時は教えてくださいね。」
現地で調査を進めやすくするポイントを伝えるつもりだった。
「うん。ありがとう!」
⚹
ちょっと座れるとこ…あっ、公園だ。
よいしょ。
えーと、「札幌 仙台」で検索っと。
新札幌から千歳空港、そこから飛行機で――一時間ちょっと。
思ったより近いんだ…。
片道20,000円。
うーん、安くはないけど、手が届かない額でもない。
あっ!「20:00発 残り1席」。
……今日の夜には仙台にいられるってこと?
なんか心臓が……ドクンって言った!
騒がないでよ、心臓。
……いやいや、お母さんが許してくれるわけ…あるんだよな、意外と。
おかげで楽しくやってます!
……いやいや、大学に通わせてもらってる身分で、そんな自由人でいいわけない(笑)。
帰ろ。
……仙台、牛タン……ずんだシェイク(飲んだことない)……。
帰…
⚹
-飛び立つ鷹のスタンプ-
その夜、静香さんからLINEが届いた。
「仙台ナウ」のメッセージに、飛び立つ鷹のスタンプが添えられていた。
さっき「行く時は教えて」って言ったばかりなのにな…。
思わず苦笑いしながらスマホを見つめた。
彼女の行動力には毎回驚かされる。だけど、その前向きさが何より魅力的だ。
きっとこの旅も、静香さんにとって特別なものになるに違いない。