【第3回】戦前、日本領の「樺太」にいた先祖…戸籍は現存するのか?

戦前、日本領の「樺太」にいた先祖…戸籍は現存するのか?

自分を取り巻く親類縁者との関係が明確になることから、相続について考える富裕層を中心に「家系図」への注目が高まっています。きっかけがなければ難しい作業であるかもしれませんが、やり方次第では、江戸時代の先祖まで遡ることも可能なのです。本記事では、家系図作成代行センター株式会社代表の渡辺宗貴氏が、家系図作成の前に知っておくべき「戸籍」事情を解説します。今回は、家系図作成の際に筆者が直面した戦争の爪痕について紹介します。

現行の戸籍では「親子二代」しか記されない

前回、家系図作成のポイントの一つ目として、家系図の記し方の基本について紹介しました(関連記事:『28代遡ると先祖は1億人超え!? 家系図、記し方の基本』)。今回から、家系図作成のポイントの二つ目、戸籍について話をしていきます。

戸籍には分け方によっていろいろな種類があります。「謄本(とうほん) 」と「抄本(しょうほん)」「現行の戸籍」「除籍簿」「改正原戸籍(かいせいはらこせき) 」などなど。戸籍の種類についての詳細は割愛して、大まかに話していきます。

戸籍(正確には戸籍謄本)には、世帯主をはじめその家族…すなわち配偶者や子どもが載っています。戸籍に書かれている人物が転籍したり、結婚するか亡くなったりして、すべての人物が抜けてしまった戸籍を「除籍簿」と呼びます。

現行の戸籍(現在の戸籍です)には、前述の通り世帯主をはじめ、その家族、すなわち配偶者や子どもが載っています。要するに家族単位です。「三代戸籍禁止の原則」といって、親子二代までしか記載されていません。

 

現行の戸籍のイメージ。結婚したり死亡したりして戸籍から抜けたらバツ印がひかれる

古い戸籍(正確には昭和30年に戸籍法が改正される前に使われていた改正原戸籍)には、家族だけでなく祖父や孫、さらには兄弟の配偶者やその子どもまでが記載されています。要するに当時の家制度をふまえた家単位です。そのため、古い戸籍を取得できると、一気に数世代が判明することもあります。

 

昭和30年よりも前の、古い戸籍のイメージ

戦争の影響で「戸籍消失」のケースも

一方、東京や広島、沖縄などでは戦災のため戸籍が焼けてしまっている場合があります。筆者の地元である、北海道でも稀にあります。たとえば

函館…1907(明治40)年大火事により、一部地域で戸籍が焼失しています。

樺太…第二次世界大戦があった関係で、ほんの一部の戸籍しか旧樺太から持ち帰ることができなかったそうです。

今回は、家系図作成を通して戦争の影響を感じた筆者の経験談を、少し紹介します。あれは、筆者が家系図作成を仕事にして3件目の依頼でした。40代前半の方からの依頼だったので、5代程度はさかのぼれるかなと思っていたのですが……。

調査開始直後は順調に進み、先祖の足取りと保管期限の兼ね合いを計算しても5代以上はいけそうでしたので、依頼人にも「多分5代以上いけそうですよ」と気軽に経過報告をしていました。依頼人は「僕は曾おじいちゃんの名前くらいしかしらないからねぇ。5代もいけるなんて楽しみだよ」と非常に楽しみにしてくれていました。しかし、本籍が樺太にある戸籍を請求したところで調査は中断。結局3代前までしかさかのぼれませんでした。

「本籍地樺太」という記載の戸籍を見て、筆者は「樺太への請求? どうやってするの? 樺太に役所なんてあるのかな?」と、ただただ困惑しました。よくわからないなりにも何かしないといけないと、まずは根室の役所に問い合わせてみました。するとそこには保管されておらず、東京にある「外務省のアジア局」というところにあると教えてもらいました。外務省アジア局の連絡先を教えてもらい電話すると、「樺太の戸籍でもほんの一部しか保存されていない」とのことでした。残念ながら筆者の依頼人の先祖の戸籍は保管されていませんでした。

アジア局の方は、電話口で残念がる筆者にいろいろ教えてくれました。

「第二次世界大戦が終わったとき、もう日本はボロボロだったんだ。樺太にいた方たちもやっとの思いで引き上げてきて、とても戸籍をすべて持ってくる余裕が無かったらしくて……残念だけどしょうがないんだよ。本当に申し訳ない。

持って来られなかった戸籍は今もあるはずだよ、旧ソ連のどこかに。でもね、ポツダム宣言って聞いたことあるでしょ? 終戦時にお互いの請求権を放棄したからね、もう日本はその戸籍を請求することはできないんだよ。今もね、年に何回かだけど樺太に住んでいた先祖を調べたいと戸籍の請求があるんだけど、ほんの一部の戸籍しかないから、出したくても出してあげられないんだ。本当に申し訳ない……」

アジア局の方は何度も何度も筆者に「申し訳ない」と謝りました。ポツダム宣言とか請求権の放棄とか北方領土問題とか、学校で習ったことはある言葉なのですが……。

依頼人にアジア局の方から聞いた話をそのまま伝え、軽率に5代くらいはいけそうだと報告したことを詫びました。家系調査を終えたら筆耕・表装へ進む予定だったのですが、調査が中断したため判明した人数が少なかったので、依頼人に「筆耕、表装はどうされますか? おやめになりますか?」と伺ったところ、

「……いいや。このまま(筆耕、表装も)お願いするよ。(あまり戸籍が取れなかったのは)残念だけど、あなたが一生懸命調べてくれたんだし。そういう事情で取れなかったんならしょうがないから。戦争とかね、そういう事情でウチの先祖がさかのぼれなかったことも含めて、子どもや孫に残してやればいい話だから」

ほんの僅かながら戦争の爪痕に触れ、お客様の優しさに触れ、なんだかよくわからないけどとにかくこの業務を選んでよかった、もっと頑張って専門家になろう、と思える出来事でした。

戦争の影響で「戸籍がない」ということは、確かにあります。しかし戦災があった地域でも戸籍が再生されていることも多いので、あきらめずに請求して確認してみましょう。