書籍「わたしの家系図物語(ヒストリエ)」原文 公開

「わたしの家系図物語(ヒストリエ)」【目次】

  • プロローグ 初めて見る戸籍
  • 第一講 1000年さかのぼる家系調査
  • 第二講 戸籍以上のことを知るには…──土地と苗字の基礎資料集め
  • 第三講 先祖はどんな生活をしていた?──本格調査1「文献からの情報収集」
  • 第四講 お墓や菩提寺、家紋を調べよう──本格調査2「人からの情報収集」
  • 第五講 世界に一つしかない『自家の歴史書』──家系調査をまとめると、家宝になる
  • プロローグ 先祖が住んでいた地へ

第一講 1000年さかのぼる家系調査

※(物語パート)全文公開

葛西美々は、年配男女が集まる区民センターの一室にいた。

「今回は第一回目の講座なので、現在から1000年以上前までさかのぼる 家系調査について、大まかに一気にお話をします」  

お兄さんっぽいおじさんなのか? おじさんっぽいお兄さんなのか? ホ ワイトボードの前に立つ年齢不詳のスラっとした男性が、筧 かけい 探 さぐる 先生。  

気の小さい美々だが、時折、謎の行動力を発揮する。つい来てしまった、 「家系図作成講座」。  

定員 30 名で満杯。その6割が、定年後であろう年配のおじいちゃん。3割 がおばあちゃん。一割弱が 30 ~ 40 代の男女。その他1名という感じで、美々 (現役女子高生)。

「講義を始める前に、お手元の用紙に、今わかっている限りの家系図を書い てみましょう」  

筧先生が、家系図の書き方を説明してくれる。

右上にタイトル「○○家系図」。上が過去で、下が未来。向かって右が過去 で、左が未来……ってことは、長女の私が右で、清美が左か。名前・続柄・ 生年月日・死亡年月日……。  

美々は、先ほど取った戸籍以上のことはわからないが、父に姉(確か啓 けい 子こ さ ん)がいることを思い出し、書き足した。  

できた!

「皆様、何代前までのご先祖様をご存知でしたか? 父親を1代前、祖父を 2代前と数えます」  

なかには、すでにかなり調べて自作家系図を持って来ている人も混じって いるが、大半は2~3代前までしかわからないという人が多いようだ。

「では始めましょうか。まず、時代によって調査方法が大きく異なります」  

筧先生が、ホワイトボードに書きながら話しだす。指が長い。

  • 150~200年前が明治初期
  • 150~400年前の江戸時代
  • 400~550年前の戦国時代
  • 550~1000年以上前までの中世・古代

「この4つの時代で、調査方法がそれ ぞれ異なってきます」

戸籍調査は必須

「まず『①の戸籍調査』を説明します。  

日本には、戸籍制度というものがあ ります」  

戸籍とは、家族単位で国民の身分関 係を証明する公的な台帳であり、簡単に言うと、親と子……すなわち、家族 が記載された書類。普段目にする機会はほとんどない。  

先ほど美々が生まれて初めて見た戸籍の話だ。

「現在取得することのできる一番古い戸籍である『明治 19 年(1886)式戸 籍』まで取ると、世代にすると平均して4~5世代たどれます」  

先ほどの戸籍には2代前の祖父までしか載っていなかったが、もっと古い 戸籍を取ると、4~5代前までわかるってことか。

「4~5代前というと、おおよそ150~200年前の江戸末期にあたりま す」  

江戸時代の先祖 !?  美々はちょっと面白そうだな、と思った。  

3代前のひいおじいちゃんが、炭鉱で働いていた話を聞いたことがあるよ うな気がする程度で、名前も知らない。それ以前は全くわからない。

「実は戸籍調査で一番重要なのは、何代さかのぼれたかだけではありません。 ご先祖様がお住まいだった地と、お名前を知ることです」

江戸時代に先祖が住んだ地と名前がわかれば、さらなる調査方針が立てら れるという。  

さらなる調査って、どうするんだろう?

「まずお住まいだった地。これが城下町や武家地であれば、武士の可能性を 考えます」  

町場であれば、町人か商人の可能性。農村地であれば、農家。

「お名前から判断できることもあります」  

例えば、真田 幸村(1567〜1615。安土桃山・江戸初期の武将。本名は信繁 ) の「幸村」や伊達政宗(1567〜1636。仙台藩主。隻眼 であったため「独眼 竜」といわれた)の「政宗」など、江戸時代には庶民には名乗れない武士の名 前があったという。

「あるいは、農村地で武士がいないはずなのに、明らかに庶民ではないお名 前であれば、僧侶や神主、あるいは町医者の可能性も出てきます」  

僧侶や神主にも独特の名前があったという。

「また、現在の苗 みょう 字じ の分布からわかることもあります」  

例えば、ある村にその苗字が現在も非常に多ければ、「古い時代からその地 に住んだ草分け村民で、分家を繰り返して勢力を伸ばした、地元有力家系で はないか?」などと、推測できる。

「さらには、お住まいだった地の歴史を調べる過程で、ご先祖様のお名前を 発見できる場合もあります」  

例えば地元有力家系は、庄屋や名主(要は村長)として、地名辞典等に記録 が出てくる場合もある。

「いずれにせよ、ズバリ判明するときと推測になるときがありますが、戸籍 から江戸時代のご先祖様のことがある程度読み取れてきます」  

武士、農家、商人……。社会で習った士農工商というやつか。私の先祖は なんだったんだろう? すごく面白そうだな、と美々は思った。

過去帳・墓石・武士の系図(江戸時代の家系調査)

「次に、もっと昔のご先祖様にさかのぼって、『②江戸時代』の調査について 述べます。

江戸時代には、現在の戸籍のような、国が公的に血のつながりを証明した ような資料はありません。ここで使うのが『過去帳』です」  

江戸時代の調査は、菩提寺(先祖代々の過去帳や墓がある可能性のある寺)、また は、本家の「過去帳」が重要。その他に、墓石、「宗門改帳 」(江戸時代の民衆 調査のための台帳)、武士であれば「武士の系図」が重要だという。  

「過去帳」ってなんだろう?

「『過去帳』というのは、ご先祖様の戒名、俗名――すなわち、生前のお名前 や歿年が書かれています」  

「戒名」とは死後のお名前、「俗名」とは生前のお名前。「歿年」は死亡日。  

江戸時代初期の1664年に、「寺請 制度」という、「日本国民すべてがど こかのお寺の檀家にならなければならない」という決まりができ、基本的に 全国民の「過去帳」が菩提寺に備え付けられるようになったという。  

筧先生のお話は、決して早口ではないのだが、流れるようにスムーズで聞 きやすい。疑問に思ったことを予想したかのように、次の話へ進んでいく。

「また、江戸時代は人の移動に制限があり、お寺を変えることにも制限が あったので、一つの寺に代々のご先祖様が葬られている可能性が非常に高い です」  

そっか。だから、先祖の住んだ地が重要なのか。先祖の住んだ地を戸籍で 特定させて、お寺を探すんだ。

「『過去帳』を入手することで、江戸初期(約350年前)まで一気にさかのぼ り、戸籍調査のうえに5~ 10 代程度のご先祖様を判明させることができる可 能性があります。  

あるいは、武士であった場合。藩(江戸時代の大名の支配領域)に提出した武士時代の系図が見つかれば、「過去帳」に頼らずとも一気にさかのぼれる可能 性があります」

400~550年前の戦国時代 

「さらにさかのぼり、次は、江戸時代の前の『③戦国時代』ですが、ここは いったん、飛ばします」

あれ? なんで飛ばすんだろう? 「記録が少ない」って板書されているけ ど、関係あるのかな? 後で、説明してくれるだろう。

1000年以上前の「源平藤橘」から下って来る調査

「最後に『④中世・古代』についてで、1000年をさかのぼります。  

1000年さかのぼるということは、100年の間におおよそ4代前後の 人物がいるとして、 40 代前後さかのぼるということです。そして、 40 代さか のぼると、多くは『源 げん 平 ぺい 藤 とう 橘 きつ 』にたどり着きます」  

「源平藤橘」とは、日本人の代表的な氏 (共通の祖先を持つ血縁集団)の母体。 源は源氏、平は平家、藤は藤原氏、橘は橘氏。

「このうち源平橘は天皇の子孫で、藤原氏は高天原(日本神話の天上界)の神様 の子孫といわれています」  

源氏には、清和天皇(850〜881。平安時代前期の第 56 代天皇)の子孫「清和源氏」、宇多天皇(867〜931。第 59 代天皇)の子孫「宇多源氏」、村上天 皇(926〜967。平安中期の第 62 代天皇)の子孫「村上源氏」などがある。  

平氏は、桓武天皇(736〜806。第50 代天皇。794年に京都の平安京に遷都 した)の子孫が平安京の「平」にちなんで名乗った。  

藤原は、藤原鎌 足 (614〜669。飛鳥時代の政治家。藤原氏繁栄の礎を築いた) が奈良の地名からとったもの。  

橘は、敏達天皇(538?〜585?。6世紀後半の第 30 代天皇)の子孫。  

じゃあ、 40 代さかのぼった私の先祖も、清和天皇とか桓武天皇とか藤原鎌 足なんだろうか? どうやって調べるんだろう? 

「氏」って何だったけ? 「源平藤橘」ってのも、授業で聞いたことはあるけどよくわからない……。

「さて。一気に話すと言いましたが、ここからはまた雰囲気が変わって、苗 字の話に入ります。ちょっと休憩を入れましょう。」  

ほっと一息。あちこちで雑談が始まる。お手洗いや一服に行く人、筧先生 に質問に行く人……。  

美々は早く次の話が聞きたかったが、ここまでの話をレジュメで復習することにした。

講座再開。

40代さかのぼると、多くは『源平藤橘』にたどり着く……どうやって調べるんだろう。  

筧先生は、説明する。

「中世・古代は、その時代に生きた人の家系が『新撰姓氏録』や『尊卑分脈』といった文献にまとめられています。 我々のご先祖様は、さかのぼっていくといずれ、この記録のいずれかの家系に載り上がるといわれています」

「誰でもそんなにさかのぼれば、天皇とかにつながるんですか?」  

と、いう質問が飛ぶ。

「いいえ。もちろん必ずというわけでは、ございません」

予想していたように筧先生。予想していたんだろう。

「まずは、苗字について少し知識を深めましょう 。 現在 、日本には少なく考えても 10 万、多ければ 30 万の苗字があります。  

では、この苗字はどのように生まれたのでしょうか?」  

筧先生がホワイトボードに板書を始める。   

古代(600〜1200年前後)に、今の苗字にあたる「氏 うじ 」が生まれた。

数ある「氏」の中で、「源 げん 平 ぺい 藤 とう 橘 きつ 」の4つが有力だった。

人口が増え、「氏」だけでは足りなくなる。

平安時代(1185〜1192年)末期に、支配地や居住地(地名)を名乗 る「苗字」(正確には名字)が登場。

「苗字の研究は奥が深いので、専門的にすぎないようご説明します」  

参加者名簿と教室を交互に見ながら、

「ええと……葛 か 西 さい さん」  

!?  はい?

「はい」

「ちょっと例にさせていただいていいでしょうか?」

「はい……ええ、いいです。おねがいします」

「では、『葛西』という苗字です。『姓氏家系大辞典』という苗字辞典による と、この苗字は、下総国葛西郡葛西御厨という地名をから発祥しています」    

「葛西」なんていう地名があるんだ……全然知らなかった。下総国葛西郡葛 西御厨ってどこなんだろう?

「葛西御厨は、現在の東京都葛飾区付近です。葛飾の西にあるので、『葛西』 といいます。『葛西』という苗字は、この地に 桓 かん 武む 天皇(737〜806年)の 子孫である清 きよ 重 しげ が住み着き、葛西三郎と名乗ったことに始まります」  

専門的な話になってきたが、聞きなれない言葉に戸惑わせないように、 ゆっくりだが流れるような説明。何とかついていける。

桓武天皇は、日本の 50 代目の天皇。首都を平安京(京都)に移した。その 子孫は、平安京の「平」にちなんで「平氏」という氏を名乗った。その子孫 の中の一人、平安時代(794〜1185年)の末期から鎌倉時代(1185〜 1333年)の前期にかけて活躍した武将である清重が「葛西」という苗字を 名乗り始めた。

「我々の家系をさかのぼるには、現在から一代ずつさかのぼらなければなり ません。  

ですが、中世古代といった古い時代に入ると、すでに文献にまとめられて いるどの家系に載り上がるかを探す作業になります」  

1000年以上前の桓武天皇から始まる葛西姓の家系の流れは、おおよそ 600年前(1400年代)までの記録が、中世・古代の系図文献にまとめら れているという。  

美 々の先祖が、どういう経緯をたどって、葛西三郎なり桓武天皇なりに載 り上がるのかわからないが、超面白いなと思った。

「ただ、家系調査には限界点もあります。先ほど飛ばした戦国時代は、非常 に記録が少ないからです」  

話を飛ばしていた、戦国時代の調査についていよいよ説明するようだ。  

「過去帳」や「武士の系図」で、江戸時代初期の400年前までさかのぼれ たとする。また、中世・古代の家系の流れが、1000年以上前から600 年前まで下ってこれたとする。

「ちょうどこの間、400年前から600年前までの期間が、戦国時代にあ たります」  

戦国時代は資料が少なく、この間の空白をご先祖様が一代も漏 も れもなく完 全に埋められる家は少ないという。  

また、戦国時代は、人の移動が自由だった時代でもあった。好きな地に住 み、好きな殿様に仕えた時代なのだ。

「人の移動が自由だった時代のどの家系に自分の家が載り上がるのか、特定 するのは困難です。ここが、家系調査の一つの限界点です。  

しかし、間に何代か、数十年か数百年かの空白ができるかもしれませんが、 1000年前からの大きな家系の流れは、把握できる可能性が結構あります」  

この空白の期間を埋めるには、さかのぼっていった家系と、下ってきた家 系がつながっているという根拠を探すという。

「家紋で一致させるか、地域で推測するか、その他文献・文書で根拠を探し ます」  

ほほう! という感心と、本当に1000年前とつながるんだろうか?  という疑問が浮かぶ。 実際に質問も飛ぶ。

「はい。江戸時代以前は、現在の戸籍のような公的な資料は残っていません。  

ですので、戸籍以前の家系調査というのは、誰もその内容を保証してくれ ません。  

言い換えれば、血のつながりを証明した家系図というよりも、精神的な家 系図という意味合いともいえます」  

そうなんだ。

「しかし、公的資料ではありませんが、『過去帳』や『武士の系図』は、おおよそ信頼できる資料といっていいでしょう。また、中世・古代の系図の記録 も、完全ではありませんが、おおよそ正しいといわれています」  

いずれにせよ、まずは戸籍で江戸末期までさかのぼることと、自分の苗字 の発祥を知ることが必要だという。

「苗字を知るために、まず見るべきは、『姓氏家系大辞典』です。  

この本は、大きな図書館であれば、たいていは所蔵されています。この区 民センター併設の図書館にもあります。お帰りの際に、ご自分の苗字の項目 をコピーしていってはいかがでしょう」  

美々の他に幾人かの苗字を例に話し、第一回、 90 分の講座はあっという間 に終わった。

「まずは、戸籍を取ってみましょう。次回は、一カ月後です」  

次回も来る生徒さんたちは、それまでに一番古い戸籍まで取っておき、次 段階に進むそうだ。  

また、何か家系についての聞き伝えがないか、家族や親族にできる限り聞 いておくといい、とのこと。   

宿題(家族・親族への質問事項)

  • Q1 家紋を知っているか?
  • Q2 ご先祖様が江戸時代に住んでいた場所を知っているか?
  • Q3 ご先祖様が住んでいた地の同姓の人と、お付き合いはあるか?
  • Q4 ご先祖様のお墓やお寺を知っているか?
  • Q5 ご自宅のぶつ仏だん壇などに、「過去帳」はあるか?
  • Q6  聞き伝えはあるか?(武士・農家等、あるいは源平藤橘など、ルーツに 関するもの)

ちなみに、「筧探(かけい さぐる)」というのは、本名ではなくペンネーム。

本名は、篁公太郎(たかむら こうたろう)。 50 歳。

年齢不詳な感じではあったけど、予想以上に年齢が高かった。

素直な美々は、言われた通り、『姓氏家系大辞典』を見に、図書館に寄って みた。  

普段は目にも入らない歴史関連コーナーには、同じように考えたであろう 受講生たちが、幾人か見える。  

郵送での戸籍の請求の準備をしながら、少し時間をつぶし、誰もいなくなったところで『姓氏家系大辞典』を見る。  

漢文調? というのかよくわからないが、昔の書き方っぽく読みづらい。  

とにかく、言われた通り、「葛西」の項目のコピーを取ろう。

「やあ。葛西君。早速、調査をしているんだね。なかなか意味がわかりづらいだろう。6分 30 秒ほど待っていてくれるか」  

筧先生は、ガラス張りの閲覧室に入り、何かを猛烈にメモして、6分 25 秒 で戻ってきた。

「『姓氏家系大辞典』の「葛西」の項目の解説だよ。じゃあ、気を付けて」  

筧先生は、風のように来て、風のように去っていった。美々の手元に、メ モだけを残して。  

筧先生のメモは、急いで書いたはずなのに、読みやすい字が並ぶ。

……。美々のために、『姓氏家系大辞典』の読み方のコツを書いてくれたようだ。  

美々は、『次回も、講座に来てみようかな』と、思った。