▼ 『人はなぜ家系図を作るのか?』

家系図を作りたがる人のタイプというものはあります。

1:父母や祖父母に愛着がある人。
2:家に言い伝えや古い伝来品がある人。
3:先祖に負のイメージを持たず、その存在を絶対肯定できる人。

この逆の人は家系図を作りません。

ですが1には例外があって、父母や祖父母との関係が悪くても、彼らの死後、愛着を感じるようになる人もいます。 

また1が欠格していても2によって関心を持つ人もいます。

自らの先祖に愛着が無く、言い伝えも残っておらず、伝来品も無く、先祖に負のイメージを持ち、その功罪をありのまま受け入れる(肯定)ことができない人は家系図を作りません。

家系図とは、父母のどちらか、あるいは両方に愛着を持ち、その延長上で先祖に愛着を持ち、先祖を自己の過去の一部と意識するようになった人が、自己の拡大した過去を図によって示すために作るものと考えます。

これが結論です。

ですが、こうして書いてみると、家系図には特筆するような利点があるわけではないです。
ただ人は長い間続いた家制度によって、自己の過去を自身の誕生以前にまでさかのぼるDNAがどこかに隠れているのかとも思います。

それが何らかによって刺激された人が家系図を作るということかも知れません。
これは重大なテーマと思っています。一言で語れば、手の間からぼろぼろとこぼれ落ちるものがあります。

私見ですが。先祖を知るということは、「自己の過去の拡大」と考えています。

通常は自分の過去を誕生から現在までと意識していますが、先祖に愛着を持った人というのは、自己の過去を自らの誕生以前にまでさかのぼり、父母や祖父母の人生までも自己の過去を形成する一部と意識している人たちのことです。

では、自己の過去を自己以前にまで拡大することによって何が得られるのかですが。

人間は生きていく上で問題が起きたとき、自らの経験(過去)から答えを出そうとします。
しかし、先祖を知る人は先祖という他者の経験までも含めて考えることができるため、サンプル量が多いです。

これによって、通常は自らの経験だけよりは、より良い答えを導き出せる可能性を高めることができと考えられます。

実際には問題を受け止める本人の資質、性格に依存する部分が大きいため、せっかくのサンプルから何も学ばない人も多いです。

また拡大した過去は自尊心の安定に役立ちます。

自己よりも社会的地位が高い人、経済的に豊かな人、知性の高い人にあったとき、人は卑屈になるか、反発・嫉妬するものです。

ですが拡大した自己の過去にその人物よりも地位が高い人、経済的に豊かだった人、知性の優れた人がいることを知っている人は、その先祖を自己の一部と感じているため、その存在によって自らの自尊心を平常に保つことができます。

ですが、これも逆に作用することがあります。

先祖の功績を自らの一部と感じている人は、それによって自尊心があおられ、他者から見ると単なる先祖自慢となっていることもあります。

そして自己の過去が拡大している人は家意識を持ちます。

家意識は「先祖に恥じない人」という言葉からも分かるとおり恥の概念を育み、社会性を高め、向上心を刺激します。

ですが、これにも反作用があり、反面として保守的となり、男尊女卑になりやすい側面があります。

旅の果て、豊かな大地にたどり着いても、実りを刈り取らなければ、それは単なる風景でしかなく、実利はなにもないことになります。

先祖を知ること、自己の過去を拡大することも同じで、そこから何かを学ぼうとしなければ、ただ知っているだけで、何も生み出さず、人生も決して豊かにはなりません。



「家系図の必要性」「自己の過去の拡大」「戸籍の保管期限」…云々。

少し堅苦しいことも書きました。

「家系図には特筆するような利点があるわけではない」とも書きました。

ですが、普段当たり前でありながら意識しないことの多い、家族とのつながりを再認識させてくれるのが家系図です。

優しくなる一つのきっかけになります。
心穏やかに過ごす一つのきっかけになります。

あたりまえですが、世の中にはいろんな人がいます。
たくさんの人の中で生活していれば、気が合わない人もいるし、腹が立つこともあります。

私は、そんなに気の短い方ではないのですが、たまにはイラっとするときはあります(もちろん気づかずにイラっとさせるときもあります)。

例えば、

車を運転していて割り込みされた
店員の態度が悪い
忙しいときに営業電話がきた

などなど。

特に友人・知人・家族などではない全く知らない人に対しては、ほんの些細なことでも必要以上にイラっときてしまうことがあります。

さて、そこで家系図です。


私には私を産んでくれた両親がいます。
私をとても大事にしてくれます。

私をイラっとさせた私の知らない人にももちろん両親がいます。
きっと私の知らない人を大事にしています。

そう考えると、必要以上のイラっとはたいてい消えてしまいます。

ましてや、私をイラっとさせた私の知らない人を大事にしている両親には、その両親を大事にしてくれた両親がいて、その両親にもその両親を大事にしてくれた両親がいて…とまで考えれば、軽いイラっとまでたいてい消えてしまいます。

もっと深くまで考えたら、私と私をイラっとさせた私の知らない人は、きっとどこかでつながっていたはずです。

人類皆兄弟というのはあながち荒唐無稽な話ではないんだな~と思います。