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▼ 2,江戸時代の士農工商。武士?農家?
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・先祖は何をしていたんだろう?
・江戸時代は士農工商という身分制度があった
※以下「チャット Gpt」の書き起こしのため、やや不自然な文章があります。なにとぞご了承ください。
江戸時代には身分制度があり、先祖が武士か農家かに興味がある人も多いでしょう。
まずは戸籍を確認することが重要です。
例えば、私の母方の祖先は葛西という苗字でした。
葛西家の一番古い戸籍を見てみます。
名前に注目すると、例えば武士だった場合、複数の名前を持っていることがあります。
通称と実名があり、実名が武士らしい名前です。
※実名と通称
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西郷吉之助隆盛
(通称)吉之助
(実名)隆盛
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実名が戸籍に載っていると武士の可能性が高いです。
しかし、武士以外の特殊な家系の場合もあるため、名前だけで100%確定することは難しいです。
次に調べるのは、先祖が住んでいた場所ですね。
私の先祖は青森県の飯田村に住んでいたそうです。
札幌に住んでいる私が、遡ってみると、先祖は青森県の飯田村に住んでいたということです。
では、飯田村とはどんな場所だったのか、その村の情報を調べましょう。
そのために使うのが地名辞典で、例えば角川書店や平凡社から出版されているものがあります。
地名辞典で飯田村の情報を調べると、田畑地などの言葉が出てきたり、物産として米や大豆が挙げられています。
また、より詳しく調べていくと、高杉という人物が郷侍としていたことが分かります。
郷侍とは、武士の身分でありながら、普段は農家と同じような生活をしていた人たちですね。
この村には高杉さん以外に郷侍がいなかったため、高杉さん以外の場合は恐らく農家だったと推測されます。
もう一つ見るべきところが、苗字の分布です。
例えば、今、葛西さんがどれくらい住んでいるのかを調べます。
電話帳のソフトを使って葛西を検索すると、全国的な分布から561位で約6400軒いることがわかります。
青森県は真っ赤なので非常に多く、その他地域に葛西さんはあまり多くいないということですね。
これからもっと細かく苗字の分布を見ていくと、青森県北津軽郡板柳町の飯田に現在34軒、30軒以上住んでいることがわかります。
これはかなり多い数ですね。
苗字の分布から、葛西家は江戸時代からここに住んでいて、分家して数を増やしてきた地元の古い農家である可能性があります。
また、地名辞典を見ると、明治初年の戸数が71で、これは平均的な農村地の規模であり、明治初期の戸数はほぼ平均的な農村地だったことがわかります。
現在の30数軒の苗字の数から、この地域はかなり数の多い苗字だった可能性があります。
この村には古くから根付いた農家で、分家して数を増やした可能性があり、本家に当たるような家は旧家であった可能性があります。
それでは、次に更に詳しく調べたい場合の手順についてお話ししますね。
まず、角川の地名辞典に書かれている『板柳町誌』を参照することが重要です。
この地名辞典は『板柳町誌』を元にしており、より詳細な情報がそこに載っている可能性があります。
また、郷土史を読んだり、明治期の土地の記録である旧土地台帳を調べることも有効です。
この旧土地台帳には、私の戸籍に載っている先祖の名前が記載されており、明治時代に土地を所有していたことが分かります。
これからも、やはり古くから根付いた農家だった可能性が高いと見られます。
更に、確実な調査方法として、電話帳に載っている同じ苗字の人々に訪ねる方法が挙げられます。
ただし、突然の訪問や電話は避け、お手紙を出して事情を説明し、情報を求める方が良いでしょう。
実際、私もこの方法で先祖の情報を得ることができ、先祖のお墓や家紋、そして先祖について知っている人物も見つけることができました。
次に、先祖が武士である可能性がある場合の調査方法についてお話します。
私の場合、渡辺という苗字で、父方の渡辺家の戸籍を遡ってみました。
江戸末期までさかのぼると、渡辺宗兵衛や荘太という名前が見つかりましたが、武士らしい印象はありませんでした。住んでいた場所は北海道の茂辺地で、農家や漁師が多かった地域でした。
しかし、戸籍を詳しく読むと、斉藤利成という人物の名前が出てきました。
私の直接の先祖ではなく、先祖の3代前の荘太のお兄さんのお嫁さんの家族でしたが、斉藤利成という名前は武士らしい印象を与えました。
そこで、彼が住んでいた場所である御指南町について調べてみました。御指南町は現在の秋田県能代市にあり、かつては足軽が住んでいた場所でした。
黒石藩士の記録を調べてみると、斉藤という苗字の藩士はいくつか見つかりましたが、斉藤利成さんは見つかりませんでした。
しかし、斉藤さんという苗字の藩士はいましたし、その中には斉藤庄太郎という人物もいました。
彼が斉藤利成の通称である可能性も考えられます。
このように、武士の確定は難しい部分もあります。
戸籍には実名か通称かのどちらかが記載されており、藩の記録には異なる名前で残っている場合もあります。
従って、斉藤利成が黒石藩士である可能性は高いものの、確定まで至りませんでした。
しかし、能代港町の歴史を調べると、斉藤利成という書記がいたことが分かりました。
この書記の斉藤利成は、私の先祖とは直接の血縁関係はないものの、関わりがあった可能性があります。
彼は明治初期の記録に載っていたため、同一人物と考えられます。
郷土資料には、ご先祖の名前が意外と出てくることがあります。
例えば、私の家系図の巻物には、渡辺家と玉置家(妻の実家)の二つの家系が記されています。
玉置家には、奥さんの先祖である又平さんという人物が登場します。
又平さんは、奥さんの家系の先祖で、そのルーツは和歌山にあることが分かりました。
和歌山県の郷土資料を調べると、又平さんという名前の人物が副戸長として記録されていることがわかりました。
このように、先祖の活動や地位を知る手がかりとなる情報が郷土資料には含まれています。
こうした調査方法を用いることで、江戸時代の先祖が何をしていたのかを知ることができます。
今回の話題では、江戸時代の身分制度である士農工商について、現代では少しナンセンスな話も出ましたが、
農家だったから武士だったから、という価値判断ではなく、純粋に先祖が何をしていたのかというのは興味深いと思います。
さらに考えると、江戸時代には武士ではなかったとしても、地元の古い農家であっても、戦国時代まで遡れば戦国武将という可能性もあります。
そのため、武士の家系だと聞いていたとしても、実際には農家だった可能性もあれば、戦国武将だった可能性もあるということです。
先祖の身分や活動を知ることは非常に興味深い話題だと思います。