家系図の作り方がわかるおすすめ本3選【行政書士が解説】
わたしの家系図物語 原文公開(試し読み)
第一講 1000年さかのぼる家系調査 物語パート
葛西美々は、年配男女が集まる区民センターの一室にいた。

「今回は第一回目の講座なので、現在から1000年以上前までさかのぼる 家系調査について、大まかに一気にお話をします」
お兄さんっぽいおじさんなのか? おじさんっぽいお兄さんなのか? ホ ワイトボードの前に立つ年齢不詳のスラっとした男性が、筧 かけい 探 さぐる 先生。
気の小さい美々だが、時折、謎の行動力を発揮する。つい来てしまった、 「家系図作成講座」。
定員 30 名で満杯。その6割が、定年後であろう年配のおじいちゃん。3割 がおばあちゃん。一割弱が 30 ~ 40 代の男女。その他1名という感じで、美々 (現役女子高生)。
「講義を始める前に、お手元の用紙に、今わかっている限りの家系図を書い てみましょう」
筧先生が、家系図の書き方を説明してくれる。
右上にタイトル「○○家系図」。上が過去で、下が未来。向かって右が過去 で、左が未来……ってことは、長女の私が右で、清美が左か。名前・続柄・ 生年月日・死亡年月日……。
美々は、先ほど取った戸籍以上のことはわからないが、父に姉(確か啓 けい 子こ さ ん)がいることを思い出し、書き足した。
できた!

「皆様、何代前までのご先祖様をご存知でしたか? 父親を1代前、祖父を 2代前と数えます」
なかには、すでにかなり調べて自作家系図を持って来ている人も混じって いるが、大半は2~3代前までしかわからないという人が多いようだ。
「では始めましょうか。まず、時代によって調査方法が大きく異なります」
筧先生が、ホワイトボードに書きながら話しだす。指が長い。
- 150~200年前が明治初期
- 150~400年前の江戸時代
- 400~550年前の戦国時代
- 550~1000年以上前までの中世・古代
「この4つの時代で、調査方法がそれ ぞれ異なってきます」
戸籍調査は必須
「まず『①の戸籍調査』を説明します。
日本には、戸籍制度というものがあ ります」
戸籍とは、家族単位で国民の身分関 係を証明する公的な台帳であり、簡単に言うと、親と子……すなわち、家族 が記載された書類。普段目にする機会はほとんどない。

先ほど美々が生まれて初めて見た戸籍の話だ。
「現在取得することのできる一番古い戸籍である『明治 19 年(1886)式戸 籍』まで取ると、世代にすると平均して4~5世代たどれます」
先ほどの戸籍には2代前の祖父までしか載っていなかったが、もっと古い 戸籍を取ると、4~5代前までわかるってことか。
「4~5代前というと、おおよそ150~200年前の江戸末期にあたりま す」
江戸時代の先祖 !? 美々はちょっと面白そうだな、と思った。
3代前のひいおじいちゃんが、炭鉱で働いていた話を聞いたことがあるよ うな気がする程度で、名前も知らない。それ以前は全くわからない。
「実は戸籍調査で一番重要なのは、何代さかのぼれたかだけではありません。 ご先祖様がお住まいだった地と、お名前を知ることです」
江戸時代に先祖が住んだ地と名前がわかれば、さらなる調査方針が立てら れるという。
さらなる調査って、どうするんだろう?
「まずお住まいだった地。これが城下町や武家地であれば、武士の可能性を 考えます」
町場であれば、町人か商人の可能性。農村地であれば、農家。
「お名前から判断できることもあります」
例えば、真田 幸村(1567〜1615。安土桃山・江戸初期の武将。本名は信繁 ) の「幸村」や伊達政宗(1567〜1636。仙台藩主。隻眼 であったため「独眼 竜」といわれた)の「政宗」など、江戸時代には庶民には名乗れない武士の名 前があったという。
「あるいは、農村地で武士がいないはずなのに、明らかに庶民ではないお名 前であれば、僧侶や神主、あるいは町医者の可能性も出てきます」
僧侶や神主にも独特の名前があったという。
「また、現在の苗 みょう 字じ の分布からわかることもあります」
例えば、ある村にその苗字が現在も非常に多ければ、「古い時代からその地 に住んだ草分け村民で、分家を繰り返して勢力を伸ばした、地元有力家系で はないか?」などと、推測できる。
「さらには、お住まいだった地の歴史を調べる過程で、ご先祖様のお名前を 発見できる場合もあります」
例えば地元有力家系は、庄屋や名主(要は村長)として、地名辞典等に記録 が出てくる場合もある。
「いずれにせよ、ズバリ判明するときと推測になるときがありますが、戸籍 から江戸時代のご先祖様のことがある程度読み取れてきます」
武士、農家、商人……。社会で習った士農工商というやつか。私の先祖は なんだったんだろう? すごく面白そうだな、と美々は思った。
過去帳・墓石・武士の系図(江戸時代の家系調査)
「次に、もっと昔のご先祖様にさかのぼって、『②江戸時代』の調査について 述べます。
江戸時代には、現在の戸籍のような、国が公的に血のつながりを証明した ような資料はありません。ここで使うのが『過去帳』です」

江戸時代の調査は、菩提寺(先祖代々の過去帳や墓がある可能性のある寺)、また は、本家の「過去帳」が重要。その他に、墓石、「宗門改帳 」(江戸時代の民衆 調査のための台帳)、武士であれば「武士の系図」が重要だという。
「過去帳」ってなんだろう?
「『過去帳』というのは、ご先祖様の戒名、俗名――すなわち、生前のお名前 や歿年が書かれています」
「戒名」とは死後のお名前、「俗名」とは生前のお名前。「歿年」は死亡日。
江戸時代初期の1664年に、「寺請 制度」という、「日本国民すべてがど こかのお寺の檀家にならなければならない」という決まりができ、基本的に 全国民の「過去帳」が菩提寺に備え付けられるようになったという。
筧先生のお話は、決して早口ではないのだが、流れるようにスムーズで聞 きやすい。疑問に思ったことを予想したかのように、次の話へ進んでいく。
「また、江戸時代は人の移動に制限があり、お寺を変えることにも制限が あったので、一つの寺に代々のご先祖様が葬られている可能性が非常に高い です」
そっか。だから、先祖の住んだ地が重要なのか。先祖の住んだ地を戸籍で 特定させて、お寺を探すんだ。
「『過去帳』を入手することで、江戸初期(約350年前)まで一気にさかのぼ り、戸籍調査のうえに5~ 10 代程度のご先祖様を判明させることができる可 能性があります。
あるいは、武士であった場合。藩(江戸時代の大名の支配領域)に提出した武士時代の系図が見つかれば、「過去帳」に頼らずとも一気にさかのぼれる可能 性があります」
400~550年前の戦国時代
「さらにさかのぼり、次は、江戸時代の前の『③戦国時代』ですが、ここは いったん、飛ばします」
あれ? なんで飛ばすんだろう? 「記録が少ない」って板書されているけ ど、関係あるのかな? 後で、説明してくれるだろう。

1000年以上前の「源平藤橘」から下って来る調査
「最後に『④中世・古代』についてで、1000年をさかのぼります。
1000年さかのぼるということは、100年の間におおよそ4代前後の 人物がいるとして、 40 代前後さかのぼるということです。そして、 40 代さか のぼると、多くは『源 げん 平 ぺい 藤 とう 橘 きつ 』にたどり着きます」
「源平藤橘」とは、日本人の代表的な氏 (共通の祖先を持つ血縁集団)の母体。 源は源氏、平は平家、藤は藤原氏、橘は橘氏。
「このうち源平橘は天皇の子孫で、藤原氏は高天原(日本神話の天上界)の神様 の子孫といわれています」
源氏には、清和天皇(850〜881。平安時代前期の第 56 代天皇)の子孫「清和源氏」、宇多天皇(867〜931。第 59 代天皇)の子孫「宇多源氏」、村上天 皇(926〜967。平安中期の第 62 代天皇)の子孫「村上源氏」などがある。
平氏は、桓武天皇(736〜806。第50 代天皇。794年に京都の平安京に遷都 した)の子孫が平安京の「平」にちなんで名乗った。
藤原は、藤原鎌 足 (614〜669。飛鳥時代の政治家。藤原氏繁栄の礎を築いた) が奈良の地名からとったもの。
橘は、敏達天皇(538?〜585?。6世紀後半の第 30 代天皇)の子孫。
じゃあ、 40 代さかのぼった私の先祖も、清和天皇とか桓武天皇とか藤原鎌 足なんだろうか? どうやって調べるんだろう?
「氏」って何だったけ? 「源平藤橘」ってのも、授業で聞いたことはあるけどよくわからない……。
「さて。一気に話すと言いましたが、ここからはまた雰囲気が変わって、苗 字の話に入ります。ちょっと休憩を入れましょう。」
ほっと一息。あちこちで雑談が始まる。お手洗いや一服に行く人、筧先生 に質問に行く人……。
美々は早く次の話が聞きたかったが、ここまでの話をレジュメで復習することにした。
講座再開。
40代さかのぼると、多くは『源平藤橘』にたどり着く……どうやって調べるんだろう。
筧先生は、説明する。
「中世・古代は、その時代に生きた人の家系が『新撰姓氏録』や『尊卑分脈』といった文献にまとめられています。 我々のご先祖様は、さかのぼっていくといずれ、この記録のいずれかの家系に載り上がるといわれています」
「誰でもそんなにさかのぼれば、天皇とかにつながるんですか?」
と、いう質問が飛ぶ。
「いいえ。もちろん必ずというわけでは、ございません」
予想していたように筧先生。予想していたんだろう。
「まずは、苗字について少し知識を深めましょう 。 現在 、日本には少なく考えても 10 万、多ければ 30 万の苗字があります。
では、この苗字はどのように生まれたのでしょうか?」
筧先生がホワイトボードに板書を始める。
古代(600〜1200年前後)に、今の苗字にあたる「氏 うじ 」が生まれた。
↓
数ある「氏」の中で、「源 げん 平 ぺい 藤 とう 橘 きつ 」の4つが有力だった。
↓
人口が増え、「氏」だけでは足りなくなる。
↓
平安時代(1185〜1192年)末期に、支配地や居住地(地名)を名乗 る「苗字」(正確には名字)が登場。
「苗字の研究は奥が深いので、専門的にすぎないようご説明します」
参加者名簿と教室を交互に見ながら、
「ええと……葛 か 西 さい さん」
!? はい?
「はい」
「ちょっと例にさせていただいていいでしょうか?」
「はい……ええ、いいです。おねがいします」
「では、『葛西』という苗字です。『姓氏家系大辞典』という苗字辞典による と、この苗字は、下総国葛西郡葛西御厨という地名をから発祥しています」
「葛西」なんていう地名があるんだ……全然知らなかった。下総国葛西郡葛 西御厨ってどこなんだろう?
「葛西御厨は、現在の東京都葛飾区付近です。葛飾の西にあるので、『葛西』 といいます。『葛西』という苗字は、この地に 桓 かん 武む 天皇(737〜806年)の 子孫である清 きよ 重 しげ が住み着き、葛西三郎と名乗ったことに始まります」
専門的な話になってきたが、聞きなれない言葉に戸惑わせないように、 ゆっくりだが流れるような説明。何とかついていける。
桓武天皇は、日本の 50 代目の天皇。首都を平安京(京都)に移した。その 子孫は、平安京の「平」にちなんで「平氏」という氏を名乗った。その子孫 の中の一人、平安時代(794〜1185年)の末期から鎌倉時代(1185〜 1333年)の前期にかけて活躍した武将である清重が「葛西」という苗字を 名乗り始めた。
「我々の家系をさかのぼるには、現在から一代ずつさかのぼらなければなり ません。
ですが、中世古代といった古い時代に入ると、すでに文献にまとめられて いるどの家系に載り上がるかを探す作業になります」
1000年以上前の桓武天皇から始まる葛西姓の家系の流れは、おおよそ 600年前(1400年代)までの記録が、中世・古代の系図文献にまとめら れているという。
美 々の先祖が、どういう経緯をたどって、葛西三郎なり桓武天皇なりに載 り上がるのかわからないが、超面白いなと思った。
「ただ、家系調査には限界点もあります。先ほど飛ばした戦国時代は、非常 に記録が少ないからです」
話を飛ばしていた、戦国時代の調査についていよいよ説明するようだ。
「過去帳」や「武士の系図」で、江戸時代初期の400年前までさかのぼれ たとする。また、中世・古代の家系の流れが、1000年以上前から600 年前まで下ってこれたとする。
「ちょうどこの間、400年前から600年前までの期間が、戦国時代にあ たります」
戦国時代は資料が少なく、この間の空白をご先祖様が一代も漏 も れもなく完 全に埋められる家は少ないという。
また、戦国時代は、人の移動が自由だった時代でもあった。好きな地に住 み、好きな殿様に仕えた時代なのだ。
「人の移動が自由だった時代のどの家系に自分の家が載り上がるのか、特定 するのは困難です。ここが、家系調査の一つの限界点です。
しかし、間に何代か、数十年か数百年かの空白ができるかもしれませんが、 1000年前からの大きな家系の流れは、把握できる可能性が結構あります」
この空白の期間を埋めるには、さかのぼっていった家系と、下ってきた家 系がつながっているという根拠を探すという。
「家紋で一致させるか、地域で推測するか、その他文献・文書で根拠を探し ます」
ほほう! という感心と、本当に1000年前とつながるんだろうか? という疑問が浮かぶ。 実際に質問も飛ぶ。
「はい。江戸時代以前は、現在の戸籍のような公的な資料は残っていません。
ですので、戸籍以前の家系調査というのは、誰もその内容を保証してくれ ません。
言い換えれば、血のつながりを証明した家系図というよりも、精神的な家 系図という意味合いともいえます」
そうなんだ。
「しかし、公的資料ではありませんが、『過去帳』や『武士の系図』は、おおよそ信頼できる資料といっていいでしょう。また、中世・古代の系図の記録 も、完全ではありませんが、おおよそ正しいといわれています」
いずれにせよ、まずは戸籍で江戸末期までさかのぼることと、自分の苗字 の発祥を知ることが必要だという。
「苗字を知るために、まず見るべきは、『姓氏家系大辞典』です。
この本は、大きな図書館であれば、たいていは所蔵されています。この区 民センター併設の図書館にもあります。お帰りの際に、ご自分の苗字の項目 をコピーしていってはいかがでしょう」
美々の他に幾人かの苗字を例に話し、第一回、 90 分の講座はあっという間 に終わった。
「まずは、戸籍を取ってみましょう。次回は、一カ月後です」
次回も来る生徒さんたちは、それまでに一番古い戸籍まで取っておき、次 段階に進むそうだ。
また、何か家系についての聞き伝えがないか、家族や親族にできる限り聞 いておくといい、とのこと。
宿題(家族・親族への質問事項)
- Q1 家紋を知っているか?
- Q2 ご先祖様が江戸時代に住んでいた場所を知っているか?
- Q3 ご先祖様が住んでいた地の同姓の人と、お付き合いはあるか?
- Q4 ご先祖様のお墓やお寺を知っているか?
- Q5 ご自宅のぶつ仏だん壇などに、「過去帳」はあるか?
- Q6 聞き伝えはあるか?(武士・農家等、あるいは源平藤橘など、ルーツに 関するもの)
ちなみに、「筧探(かけい さぐる)」というのは、本名ではなくペンネーム。
本名は、篁公太郎(たかむら こうたろう)。 50 歳。
年齢不詳な感じではあったけど、予想以上に年齢が高かった。
素直な美々は、言われた通り、『姓氏家系大辞典』を見に、図書館に寄って みた。
普段は目にも入らない歴史関連コーナーには、同じように考えたであろう 受講生たちが、幾人か見える。
郵送での戸籍の請求の準備をしながら、少し時間をつぶし、誰もいなくなったところで『姓氏家系大辞典』を見る。
漢文調? というのかよくわからないが、昔の書き方っぽく読みづらい。
とにかく、言われた通り、「葛西」の項目のコピーを取ろう。
「やあ。葛西君。早速、調査をしているんだね。なかなか意味がわかりづらいだろう。6分 30 秒ほど待っていてくれるか」
筧先生は、ガラス張りの閲覧室に入り、何かを猛烈にメモして、6分 25 秒 で戻ってきた。
「『姓氏家系大辞典』の「葛西」の項目の解説だよ。じゃあ、気を付けて」
筧先生は、風のように来て、風のように去っていった。美々の手元に、メ モだけを残して。
筧先生のメモは、急いで書いたはずなのに、読みやすい字が並ぶ。

……。美々のために、『姓氏家系大辞典』の読み方のコツを書いてくれたようだ。
美々は、『次回も、講座に来てみようかな』と、思った。
第一講 1000年さかのぼる家系調査 ノウハウパート
家系図の書き方
◆基本的な書き方を知ろう
① まずは、題名を書きます。紙の右上に「◯◯家系図」と書きます。家紋がわかってい れば画像を入れたいところです。
② 紙の天(上側)が過去で、地(下側)が未来です。また、向かって右側が過去で、左側 が未来です。
③兄弟姉妹は、生まれた順に右から書きます。
④夫婦は、夫が右です。夫婦の表現は、次の2パターンあります。
1が、古来からの表現方法です。 2は、近年生まれた表現方法です。
書きやすい方を選んで構いませんが、筆で書いて巻物にするなど、伝統的な方法 で家系図を作るのであれば、1の方がよいでしょう。
⑤ 家系図を書くときに使う線は、次の三種類です。線の色は、血縁関係を表す赤がよい でしょう。
――─(棒線) 実子関係を示す線
===(二本線) 養子関係を示す線
……(破線) 父子関係不明・代数不明を示す線
⑥ 名前・続柄(出生の順番)・生年月日・死亡年月日を書きます。戒名(法名・法号)を書 いてもよいでしょう。

こちらの図を参考に、これから美々が作る家系図でさらに学んでいきましょう。
基本的に家系図は、見やすければ自由に書いてよいですが、最低限、次の2点は守りま しょう。
- 上から下、右から左を時系列とする
- 兄弟姉妹は生まれた順に右から、夫婦は夫を右に書く
◆人名と注釈のバランスに気をつける
人名は目立たせましょう。- 続柄は、人名の右に、人名より小さな字で入れるとよいでしょう。
- 続柄は、系図の線で両親がわかっている場合は、単に「長男」「長女」等。養子や嫁 いできている場合は、判明していれば両親の名も書くとよいでしょう。
- 代数を入れる場合は、バランスを見て続柄の上か右あたり がよいかもしれません。
- 注釈は、人名より小さな字で。また、人名より1スペース 分以上は下げるとよいでしょう。
- 注釈は、右から時系列に並べましょう。一番右が出生日、 一番左が没年、あるいは判明していれば、戒名を書くのが よいでしょう。
◆複雑なケースは…
その他、複雑なケースは、ケースバイケースで見やすいようにします。
例えばよくあるのが、離婚や脂肪などの理由で前妻と別れ後妻がいる場合、
右から時系 列というルールを優先させるとこうなります。

ですが、前妻と後妻が婚姻しているようにも見えてしまいます。
そこで、わかりやすさを重視するとこうなります。

古来からの表記方法を優先するなら前者ですが、お好みでわかりやすい方を選んでもよ いと思います。
戸籍・除籍謄本について知ろう
◆戸籍謄本と除籍謄本の違い
「戸籍謄本」と「除籍謄本」の違いは何でしょうか。
戸籍謄本とは、現在の戸籍のことです。世帯主をはじめ、その家族が載っています。
除籍謄本とは、記載されている人物すべてが、結婚か離婚、死亡、転籍(本籍地を変更) により、誰もいなくなったことを表した戸籍のことです。
その他、「改製原戸籍」という、戸籍制度が改正された際にできる戸籍もありますが、 これは除籍謄本に近いものです。
本書では、便宜上、すべてを含めて「戸籍」と表現することがあります。
ついでに、「謄本」と「抄本」についても述べておきましょう。
戸籍には、戸籍の一部(例えば、特定の一名のみ)を記載した抄本と、すべてを記載した 謄本とがあります。家系調査で請求する戸籍は、すべて謄本です。
◆戸籍はどこにある?
まず、自分の戸籍謄本は、「自分の本籍地が置かれている役所」にあります。
結婚をしていれば自分が筆頭者の戸籍。結婚していなければ両親いずれか(たいていは 父親)が筆頭者の戸籍があります。
自分→父親(1代前)→祖父(2代前)→曾祖父(3代前)→……と順に、古い戸籍(除籍 謄本)をたどっていきますが、代々同じ地に住み(同じ地に本籍地を置き)、一カ所の役所に 代々の戸籍があることもあります。
逆に、全国を転々として、各地の役所に先祖の戸籍が眠っていることもあります。
これからの物語で語られる葛西家の場合は、現在は北海道札 幌市清岡区(架空の区)に本籍 があり、物語の舞台となっている札幌市清岡区役所に最初の戸籍がありました。
この後、葛西美々は、北海道 釧路市で生まれた父や阿寒町で 生まれ釧路市内を転々とする祖 父の戸籍、さらには青森から北 海道に渡った曾祖父の戸籍をさかのぼって追い、青森県の役所 から郵送で取り寄せます。

◆戸籍・除籍謄本には、保管期限がある
全国のどこかの役所に保管されている先祖の戸籍は、子孫が探しに来なければ、この先 誰の目にもふれることなく、永遠に破棄されてしまいます。
保管期限を迎えた当日や役所の年度末、あるいは市町村合併のタイミングで、誰に通知 されることもなく、役所や法務局の冷たい倉庫に運び込まれ封印されます。
東京や大阪、 あるいは各都道府県の都心部の役所では、倉庫に保管されるのではなく、本当に破棄処分 されています。
一度封印された先祖の戸籍は、二度と取得することができません。保管期限は、現在 150年で、明治期の戸籍が一日ごとに破棄されています。
すぐにでも調査を始めないと、江戸末期に生まれ明治維新期を生きた先祖のことが永久 にわからなくなるのです。
古い戸籍・除籍謄本が破棄されて一番困るのは、江戸末期~明治初期のご先祖様の「お 名前」と「本籍地(先祖が住んだ地)」が判明しなくなることです。
江戸末期~明治初期の先祖の情報を戸籍で得ることができないと、その後の郷土史調査 やお寺・お墓探しなどが不可能になってしまいます。
江戸時代は今とは違い、人の移動に制限があった時代です。武士も庶民も、その地を領 地とした藩に管理されていました。古い時代は、「戸籍の本籍地=住所」でした。
戸籍から本籍地がわかれば、先祖は代々その地に住んでいた可能性が非常に高いです。 先祖のお墓や先祖が代々お使いのお寺(菩ぼ提だい寺じ )が、その地にあると考えられます。
◆戸籍でさかのぼれるのは、150~200年前まで
日本に戸籍制度ができたのが1872(明治5)年(壬申戸籍)で、現在取得できる一番 古い戸籍は、1886年(明治 19 年式戸籍)です。
戸籍では、150~200年前の先祖までたどれます。江戸末期~明治初期の先祖の名 前や生まれた年、亡くなった年がわかります。
世代数(両親を1代上と数える)でいうと、おおよそ3~6代前までわかります。
さかのぼれる世代数は、先祖の存命期間や隠居・分家時期、あるいは戸籍の改正時期等 に左右されますが、平均4~5世代前までわかることが多いです。
◆戸籍以上の調査はどうする?
まずはどの家でも「戸籍調査」が絶対に必要です。
最古戸籍(一番古い戸籍)を見て、ご先祖様が江戸末期~明治初期に住んでいた場所を確 定させる。そのうえで戸籍以上の調査方針を立てます(戸籍以上の調査については、第三章以 降で詳しく述べます)。
戸籍・除籍謄本の取り寄せ方
では、戸籍の具体的な取得方法を解説しましょう。
といっても、これから述べることのすべてを理解する必要はありません。
戸籍の取り扱い事務は、市町村役場で行われています。
今すぐ役所の窓口に行って、
「家系図を作るために戸籍を取りたいのですが、どうすれ ばいいですか?」
と、聞いてみましょう。役所の担当の人が、戸籍の取り方を教えてくれる はずです。
前に申した通り、戸籍は保管期限があるので、なるべく早く、必ず取ることが大事なの です。
戸籍の取得は、「習うより慣れろ」「巧こう遅ち は拙せっ速そくに如し かず(上手だが遅いよりも、下手でも速 いほうがよい)」です。
◆まずは、現在の自分の戸籍謄本を取る
戸籍を取るのに必要なものは、左の表のとおりです。
表の「請求時に必要な情報」の項目にある「請求者」とか「筆頭者」とか「請求に係る ものとの関係」とか、一見ややこしいですが、順を追って実践的に把握していきましょう。
また、「戸籍の請求範囲」の項目にある「直系尊属」とは、すなわち、血のつながりの ある両親のことです。
例えば、「保管分すべて」とは、父の戸籍のほかに、同じ役所に父の父(祖父)やその父 (曾祖父)の戸籍があれば、それもすべてほしいということです。
また、両親の家系を調べる場合は、「父方直系尊属および母の父方直系尊属保管分すべ て」と請求します。
すべての系統の場合、「直系尊属保管分すべて」とします。
お子様・お孫様がいて、その戸籍も取る場合は、「直系卑属保管分すべて」と請求します。

◆役所の窓口での請求方法
役所窓口の戸籍証明請求書を使います。
◆郵送での請求方法
遠くの地域にある役所がある場合などは、郵送で戸籍を請求しましょう。
郵送での請求に必要なものは、次のものです。
- 切手、封筒
- 返信用封筒(A4版)
- 定額小為替(郵便局で買います)
- 身分証のコピー
- 必要な戸籍とのつながりを示す戸籍のコピー
- 請求時に必要な情報を書いたメモ(または戸籍証明請求書)
- 戸籍の請求範囲を書いたメモ
古い戸籍へとさかのぼる方法 ──「戸籍調査」シミュレーション
それでは、美々より一足先に、現在から江戸末期まで戸籍をさかのぼってみましょう。
戸籍請求のコツや、読み方のコツも同時に学びましょう。
著者「渡辺宗貴(わたなべ むねたか)」の戸籍を見本にします。
◆現在の戸籍から
「渡辺宗貴」の現在の戸籍です。

本籍地が札幌市清田区なので、清田区役所に保管されていました。
父の名が載っています。一代前までさかのぼれました。
宗貴→荘一
この戸籍から、一つ前の戸籍請求先を読み取ります。
基本は「戸籍がいつできたか」を見て、一つ前の戸籍を取ることです。
また「従前戸籍」「転籍」「分家」等の記載から、より古い戸籍を同時に請求することも できます。
まずは「戸籍事項 転籍」欄より。
【転籍日】平成 20 年6月5日
【従前本籍】北海道札幌市白石区北郷一条七丁目7番
とあります。
「札幌白石区役所」に、渡辺宗貴が筆頭者の転籍前の戸籍があることがわかります。
もう一つは「身分事項 婚姻」欄より。
【婚姻日】平成 18 年7月 28 日
【配偶者氏名】玉置朱羽子
【従前戸籍】北海道札幌市豊平区月寒東三条十七丁目 15 番 渡辺荘一
「札幌豊平区役所」に婚姻(結婚)前の戸籍があることがわかります。
筆頭者は「渡辺荘一」。結婚前は、父の戸籍に子どもとして入っていたわけです。
このように、一つの戸籍から複数の請求先がわかるケースがよくありますが、どちらの 戸籍も請求します。
◆1代前の戸籍から
「渡辺宗貴」の父「渡辺荘一」の戸籍です。

「渡辺荘一」の父として、「渡辺荘三郎」の名が載っています。二代前までさかのぼれま した。
宗貴→荘一→荘三郎
次の請求先を読み取ります。 「戸籍事項 戸籍改製」より。
【改製日】 平成 14 年3月2日
【改製事由】平成6年法務省令 第 51 号附則第2条第1項による改正
とあります。
戸籍法の改正でこの戸籍ができた ということは、同じ役所に改正前の 戸籍があるということです。この戸 籍と同じく、「札幌豊平区役所」に 戸籍を請求します。
「身分事項 婚姻」欄より。
【婚姻日】昭和 43 年6月5日
【配偶者氏名】葛西巴
【従前戸籍】北海道釧路市鳥取 43 番地 渡邉荘三郎
とあります。
「釧路市役所」に婚姻(結婚)前の戸籍があることがわかります。
筆頭者は「渡辺荘三郎」。「渡辺宗貴」の父「渡辺荘一」も、結婚前は父(宗貴の祖父) の戸籍に子どもとして入っていたわけです。
宗貴の住む札幌市と釧路市は、車で7時間くらいかかる距離ですので、郵送で請求しま しょう。
請求時に必要な情報は、下表の通りです。
ちなみに、父方以外に、母方もたどることができます。
この戸籍に「渡辺宗貴」の母「渡辺巴(旧姓 葛西)」が記載されています。物語のモデ ルとなった著者の母方葛西家です。
「身分事項 婚姻」欄より。
【婚姻日】昭和 43 年6月5日
【配偶者氏名】渡辺荘一
【従前戸籍】 北海道釧路市堀川町7番地 11 葛西丑藏
とありますので、母方もたどる場合は「釧路市役所」に請求します。
◆2代前の戸籍から
「渡辺宗貴」の祖父「渡邉荘三郎」の戸籍です。

曾祖父「渡邉荘太」の名が載っています。三代前までさかのぼれました。
宗貴→荘一→荘太→荘三郎
ところで、「渡辺」ではなく「渡邉」と書かれていますが、これは近年簡単な「辺」に 表記を変えるよう届けたためです。
それでは、次の請求先を読み取ります。
右側上の欄に、 「 上磯郡上磯町字茂邉地二百五番地から転籍 渡邉ユミ届出昭和三十七年八月十四日 受付」 とあります。
渡邉家は、釧路に来る前は、同じ北海道の上磯町に住んでいたようです。
このあたりから古い時代の地名が出てきて、請求先がわかりにくいケースがあります。
古い地名は、役所に聞いたりインターネットで調べたりします。
「上磯町」をネットで検索すると、「北海道渡島支庁中部にあった町で現在の北海道北斗 市」であることがわかりますので、「北斗市役所」に戸籍を請求します。
◆転籍前の2代前の戸籍から
「渡辺宗貴」の祖父「渡邉荘三郎」の戸籍です。

祖父の転籍前の地である 上磯町(現在の北斗市)に請求した戸籍です。
先ほどの戸籍以上にさかのぼれていませんが、「渡邉荘三郎」の上の欄に、 「上磯郡茂別村字茂邊地205番地 戸主荘太参男 分家届出 昭和8年1月 12 日受付」 とあります。
戸主とは、現在の筆頭者にあたります。分家とは、旧民法の制度です。
このあたりから、現在の戸籍表記とは違う記載が散見されますし、手書きで字が読みに くいことが多くなってきます(対応方法については、本章の次の項で述べます)。
「渡邉荘三郎」は分家をしてこの戸籍の戸主となったようですが、その前は父「渡邉荘 太」が戸主の戸籍に入っていたようです。 「北斗市役所」に戸籍を請求します。
◆3代前の戸籍から
「渡辺宗貴」の曾祖父(3代前)「渡邉荘太」の戸籍です。

四代前までさかのぼれました。
宗貴→荘一→荘三郎→荘太→荘兵衛
次の請求先を読み取ります。
この戸籍の請求先は、2つ。 「渡邉荘太」が「この戸籍の前にいた戸籍」と「この戸籍の後に入った戸籍」です。
まずは、この戸籍の前にいた戸籍を請求します。
「渡邉荘太」の上の欄に、 「 上磯郡上磯町字茂邉地百十七番地 戸主渡辺まる伯父 分家届出 大正十四年十月 三日受付」 とあります。
「渡邉荘太」は、この戸籍ができる前は、「渡辺まる」という人物の戸籍に入ってたよう です。
「渡邉荘太」が「渡辺まる」の伯父にあたるということは、「渡辺まる」は「渡邉荘太」 の兄の子どもなのでしょうか?
「北斗市役所」に分家前の戸籍を請求します。
ちなみに、「渡辺まる」は「渡辺」と表記されています。何か理由があるのでしょう か? の後の戸籍の表記を見てみましょう。
次に、この戸籍の後に入った戸籍を請求します。
「渡邉荘太」の上の欄に、 「隠居届出 昭和八年二月十二日受付」 とあり、その後に、 「昭和八年二月十二日 渡邉莊之助 家督相続届出アリタルニ本戸籍を抹消ス」 とあります。
これは、この戸籍は、「渡邉荘太」が隠居し、次男である「渡邉莊之助」に家督相続させたため、除籍になったということです。
同じ本籍地に家督相続して戸主となった「渡邉莊之助」の戸籍があり、「渡邉荘太」は その戸籍に入っているということです。 「北斗市役所」に隠居後の戸籍も請求します。
このように、ただ戸籍を追うようにさかのぼるばかりではないケースも出てきます。
こ の隠居後の戸籍を追わないと、隠居後の荘太の経緯がわからなくなります。
つまり、さか のぼるばかりではなく、没年まで追うという考え方も必要になります。
◆3代前の隠居後の戸籍
まずは、先ほどの戸籍の後の戸籍です。

家督相続して戸主となった「渡邉荘太」の次男「渡邉莊之 助」が戸主の戸籍です。
隠居した「渡邉荘太」が入っています。この戸籍を取得す ることで、「渡邉荘太」の没年が判明しました。
戸主の「渡邉莊之助」ですが、「渡邉莊(太)之助」と書かれています。この「太」は 書き間違えです。「太」→「之助」と修正された跡です。
よく見ると、戸籍の上の段に「一字訂正」とあります。このような書き間違えや修正は よくあります。
◆3代前の前の戸籍
次に、先ほどの戸籍の前の戸籍です。

戸主「渡辺まる」の上の欄に、 「大正9年 10 月 22 日 前戸主荘吉死亡に因り 家督相続届出」 とあります。 「北斗市役所」に戸籍を請求します。
このケースのように、単純に「父→祖父→曾祖 父→……」と、直系の戸籍をさかのぼるだけでは ないことがよくあります。
ところで、「前戸主 荘吉」とは何者でしょう か?
次の戸籍を見れば判明するかもしれません が、この戸籍からちょっと検証してみましょう。
「渡辺まる」の右の欄を見ると、「父 千葉彌作」 「母 こと」とあり、さらに右に「渡辺荘吉養女」 とあります。
① 「渡辺まる」の実の両親は、千葉家。
② 「渡辺まる」は、「千葉まる」として生まれ、「渡邊荘吉」の養女となる。
③「渡邊荘太」は、「渡辺まる」の伯父(「渡邊荘太」からみると「渡辺まる」は兄の子ども)
ということは、「渡邊荘吉」は「渡邊荘太」の兄にあたります。
このように、古い戸籍(正確には、1955〔昭和 30 〕年に戸籍法が改正される前に使われてい た改正原戸籍)には、家族(配偶者、子ども)だけでなく、祖父やきょうだいの配偶者、きょ うだいの子ども、孫まで記載されています。
一方、現行の戸籍(現在の戸籍)には、筆頭者をはじめ、その家族──すなわち、配偶者 や子どもが載っています。要するに、家族単位です。
これは、「三代戸籍禁止の原則」といって、親子二代までしか記載されないからです。

◆3代前の兄が戸主の戸籍
渡辺宗貴の曾祖父(3代前)荘太が入った、兄・荘吉が戸主の戸籍です。

「渡邉荘吉」の左の欄に、 「 前戸主渡邉荘兵衛明治 42 年5月 31 日死亡に因り戸主と為る同年7月1日家督相続届 出同日受付」 とあります。
「北斗市役所」に戸籍を請求します。
「『渡辺』なのか? 『渡邉』なのか?」についてですが、古い戸籍になればなるほど、こ のようなケースはよく見られます。
例えば、「高橋さん」「高田さん」の「高」という字。「髙」といういわゆる「はしごだ か」に表記されることもあります。
「斉藤さん」の「斉」もいろんな表記があります。
なぜこのようなことが起きるのか、大きく2パターン考えられます。
⑴漢字の表記に何らかのこだわりがある。
⑵役所の方の書き癖。
⑴の場合は、例えば「高田さん」の「高」と「髙」。もともとは「高」の歴史が古く後 に「髙」が生まれました。例えば、ある地域の「高田さん」本家にあたる家が、分家した 家を本家と区別するために「高」を使わせず、「髙」を使わせた(あるいはその逆)などと いったケースが考えられます。
⑵の役所の方の書き癖ですが、古い時代の戸籍ではこういうことがよくあります。これ は、役所の方がいい加減だったというわけではございません。そもそも中国から入ってき た漢字は、当時さほど重視されておらず、読みが合っていればそれでよかったのです。
この戸籍を見るに、戸主「渡邉荘吉」も「渡邉荘吉」の父「渡邉荘兵衛」も「渡邉」ですが、この「渡邉荘兵衛」は「アサ」の右では「亡 渡辺荘兵衛 妻」とあります。
同じ 戸籍内で同一人物の苗字が違う表記にされています。
特段明確な理由なく、「渡邉」と「渡辺」が混在しているようです。
ということは、⑵のケースで、この戸籍を書いた役所の方の書き癖と推測されます。
同じく「荘」の字も「莊」と書かれている箇所もあります。これも役所の方の書き癖と 推測されます。
◆4代前の戸籍
「渡辺宗貴」の4代前「渡邉荘兵衛」の戸籍です。

五代前までさかのぼれました。
宗貴→荘一→荘三郎→荘太→荘兵衛→荘兵衛
この戸籍は「明治 19 年式戸籍」であり、これ以上古い戸籍はありませんでした。
これ以上古い戸籍がないかどうかの見極めは、「明治19 年式戸籍」の形式を覚えるなど、 少し経験とコツがいります。
ですので、これ以上古い戸籍がないかどうかは、必ず役所に確認しましょう(私の場合、 この戸籍を発行した「北斗市役所」に確認しましたが、残念ながらありませんでした)。
また、戸主「渡邉荘兵衛」の上の欄に、 「嘉永元年6月1日 秋田県南秋田郡脇本村 加藤平助二男入籍ス」 とあります。
戸主「渡邉荘兵衛」は、脇本村の加藤家に生まれ、北海道の渡邉家に養子として入った ようです。
このような場合は、実家である加藤家の戸籍があるかどうかを確認してみましょう(加藤家の戸籍も、「秋田県男鹿市〔戸籍にある「秋田県南秋田郡脇本村」の現在の地名〕役所」に確認したところ、残念ながらありませんでした)。
戸籍を読み解く基礎知識
◆昔の字を読む
古い戸籍の文字は、ものすごい達筆だったり、字が潰れていたり、個性的な字だったり で、読み取るのが大変です。
特に「変体かな」などの昔の字が使われていると、気合だけでは読み取れないです。
変体かなの辞典が、図書館などにありますから調べてみましょう。また、インターネッ トを使えれば、変体がなを扱ったサイトがあり、調べるのに便利です。
漢字のくずし字は、『書道辞典』や『くずし字用例辞典』などで調べられます。
戸籍を発行してくれた役所に、電話で問い合わせてもよいでしょう。
役所に問い合わせ ると、戸籍の発行番号(近年の戸籍では下部。古い戸籍では右に発行番号が書かれています)の確 認をされることが多いです。問い合わせる場合は、手元に戸籍を用意しましょう。
◆戸籍でよく出てくる記載
次は、戸籍・除籍謄本によく出てくる記載についてご説明します。
古い戸籍を取得後、わからない言葉が出てきたときに見返してください。
・「本家」と「分家」
ある家(本家)から出て、新しく一家を創立することを「分家」といいます。
・「総本家」
1898(明治 31 )年施行の民法で使用が廃止された用語で、一族の根源となる本家 のことです。 ・「戸主」 家にはその家長としての身分を持つ「戸主」がおり、戸主は家族に対して一定の権限 と義務を持ちました。戸主の権限は、1948(昭和 23 )年の現行民法によって消滅し、 戸籍上は「筆頭者」となりました。
・「隠居」
「隠居」とは、戸主が自ら生前に戸主の地位を退き、戸主権を相続人に継承させ、その家族となることです。戸主が老衰や病弱などからその責任に耐えられなくなったとき、 戸主は自らの意思で隠居することができました。
・「婿養子縁組」と「入夫の婚姻」
「婿養子縁組」とは、婚姻と同時に夫が妻の親と養子縁組することです。 「婿養子縁組」に近いものに「入夫の婚姻」があります。女子で戸主の地位にあるもの を「女戸主」といいます。女戸主である妻の家に夫が入る婚姻の形態を「入夫の婚姻」 といいます。 整理すると、女性が戸主のときは「入夫婚姻」、戸主の跡継ぎ娘のときは「婿養子縁 組」となります。
・「家の創立」
新たな家の創立には、分家の他に「廃絶家再興」があります。 「廃家」とは、戸主が他家に入って家を消滅させることです。「絶家」とは、戸主を失 い、家督相続が開始されたにもかかわらず、家督相続人がいないため、その家が消滅し たことをいいます。 これらの家を再興することが、「廃絶家再興」です。
続きは書籍でお読みいただけます
ここまで『わたしの家系図物語(ヒストリエ)』のプロローグと第一講の一部をご紹介しました。
この続きでは、家系図づくりの具体的な方法や、先祖調査の進め方を物語とともに解説しています。
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