★家系図作成専門 行政書士渡辺宗貴事務所が運営する家系図作成代行センター株式会社

「冊子製本1」江戸時代の○○家

お手持ちの資料、あるいは当事務所での調査によって、各家の江戸時代の当家の歴史・家系が

・明確な場合

・おおよそ推測できる場合

・まったく不明の場合

が考えられます。

また、

・系図が組める場合

・系図が組めない場合

も考えられます。

それぞれに応じて解説文をお付けいたします。

江戸時代の葛西家

当家には江戸時代(1603-1867)のご先祖のことが記された家系図も過去帳も伝わってはいませんが、古い除籍簿の記載から飯田村の住人であったことは間違いありません。

家系図の冊子製本「江戸時代の葛西家」

飯田村は正保年間(1644-48)から開発が始まったといわれていますが、2009年の電話帳によれば飯田には葛西家が34軒も密集して住んでいることから考えても、当家のご先祖は飯田村の初期の入植者の一人で、俗に言う草分けだったと思われます。

開けて間もない飯田村に住んでいた住人には戦国時代(1467-1568)から同地の近くにいた者と岩木山の東北方面にある高杉(現在の青森県弘前市高杉)あたりから移り住んだ者がいたといわれていますから、当家もそのような家だったと思われます。

当家の江戸時代(1603-1867)の具体的な暮らしぶりは分かりませんが、飯田村の歴史を通じて先祖の生活の様子をうかがい知ることはできます。

飯田村は岩木川中流の右岸に位置する村落で、弘前藩津軽氏の領地でした。村の石高は貞享4年(1687)の記録によれば610石余り。年代が下るにつれて石高は微妙に上下していますが、おおむね幕末なるにつれて減少している傾向があります。

そのことからも村人の暮らしが決して楽ではなかったことが知れます。農業の割合はほぼ水田と畑作が半分ずつで、土地の豊かさは中くらいと記録に見えます。

弘前藩は寛政年間(1789-1800)になると飯田村の荒廃した田畑の復興を目指して弘前城下に住む藩士に移住土着を奨励しましたが、実際に移り住んだ藩士は御留守居与力の和島安兵衛一家だけでした。

ほかに村には藩から郷士の扱いをうけていた高杉家がありました。享保10年(1725)の記録に高杉新五郎が見えます。

明治3年(1870)にも藩は移住土着を命じますが応じた藩士は2人のみで成功はしませんでした。

明治初年の村の戸数は71軒。

「家系図の冊子製本」

明治12年(1879)には飯田小学校が開校し16人の村の子供が入学しています。

産物は米のほかに藍葉・大豆・菜種などでした。

当家はこのような村に200年以上にわたって暮らしていました。

「家系図の冊子製本」見本


「家系図の冊子製本」見本

「冊子製本1」目次

「冊子製本1」まえがき

「冊子製本1」○○家の歴史概要

「冊子製本1」苗字の由来

「冊子製本1」家紋の由来

「冊子製本1」菩提寺

「冊子製本1」墓石

「冊子製本1」家系図

「冊子製本1」江戸時代以前中世・古代の○○家の家系の流れ

「冊子製本1」江戸時代の○○家

「冊子製本1」近代~現代の○○家

「冊子製本1」住所録・年代対照表・参考文献

「冊子製本1」あとがき

「冊子製本2」の場合

「冊子製本2」見本1

「冊子製本2」見本2

「冊子製本2」見本3

「冊子製本2」見本4

「冊子製本2」見本5

「家系図作成業務」価格表

家系図の冊子製本 料金・価格

【家系図の冊子製本 料金表】※送料・消費税等すべて含む。

「冊子製本①(A4判30P×20冊)」485,000円
「冊子製本②(A4判60P×20冊)」785,000円~
「ハードカバー完全製本(A6判200P×100冊)」
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