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「歴史」「地理・地名」「旧民法」「民俗学」「歴史人口学」

「歴史」「地理・地名」「旧民法」「民俗学」「歴史人口学」の幅広い知識があれば戸籍からご先祖様の暮らしを読み解くことができます。

「家系解明報告書」抜粋

番戸や屋敷という家の番号は村の中心部から順番にふられた傾向があり、数が少ないほど村の中心部に近いといわれています。当家は明治30年に55番戸から15番戸へ移っていますので、村の中心部付近へ引っ越したことになります。

戸籍に書いてあるのは「本籍地○○55番戸から15番戸へ転籍」という記載だけです。

ですが、もう少し深く考えてみると、

・戸数70前後の村の55番戸ということはわりと村のはずれに住んでいたということ。
・55番戸から15番戸へ転籍したということは村の中心部に移ったということ。

中心部に移った事情まではわかりませんが、どういう事情だったのか調査を進めれば判明するかもしれません。

また、この家は現在のこの地域の苗字の分布を調べると34軒もの同姓が暮らしています。

「家系解明報告書」抜粋

飯田には江戸時代から明治4年にかけて弘前城下の武士が藩の命令で移住していますが、その人数も少なく、通常、移住士族の家は転居地に同姓の家が少ないという特徴があります。葛西家は飯田に34軒もいますので、江戸初期に飯田に住み着いた村の草分け的農民であり、弘前藩の武士であった可能性はまずありません。とはいえ、これだけ一族を分家させるには相当な経済力が必要でしょうから、飯田の葛西一族の総本家はかなり裕福だったと思われます。

このことからおそらくこの村の始まりの古い時代からこの地に住んでいて、分家を繰り返し同姓が増えていったことが読み取れます。

55番戸という村の外れに住んでいたことから、「本家からかなり離れた分家だったのではないか?」ということも推測できます。

村の中心部にいた本家筋との関わりで中心部に引っ越したということも想像できます。

このことは、戸籍以上の調査をする場合の調査方針としても重要です。

過去帳は分家後の記載しかなされていないことが多いです。

過去帳を求めて親族へコンタクトしていく場合、分家にたどりついた後さらに本家に乗りあげてさかのぼる必要があります。

二段階で親族にコンタクトしなければならない分難しいとも言えますが、逆に最初から本家にコンタクトが取れれば全てが判明し一気にさかのぼれる可能性もあるとも言えます。

また、この村には弘前藩の命で移住してきた士族も住んでいたようですが、同姓が多いこの家が士族である可能性は非常に低いことも読み取れます。

後から移住してきた士族が分家を繰り返し同姓が増えたとは考えにくいです。

唯一士族である可能性は、偶然同じ苗字の士族が移り住んできたという場合だけです。

士族であれば別の調査方法もあるので、「士族ではない」ということが読み取れるのも戸籍以上の調査をする場合の調査方針として重要です。


「苗字(名字)」「系図」の知識

「人名」の知識

「家紋」の知識

「調査能力」

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